生きるのが下手くそなエッセイ

人生に悩みまくりの僕カシコが、エッセイやコラムを気が向いたときに書いていきます

オンライン英会話を勢いで申し込んだ話

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やりたいこと

やりたいこと。そう言われて何個あげることができるだろう。そんなことを思ったのは、二十歳の誕生日を迎えたときだった。自分の人生の節目を迎えたというよくある理由から、自分の人生を見直してみた。何にもないかもなぁ。そんな風に思いながら、でもそれでは寂しい気がして、そこからやりたいことを増やしていった。

それから数年。今の僕はあの時の自分からは信じられないくらいやりたいことに溢れている。文章を書いたり、ラップをしたり、映像を作ったり、漫画を読んだり、ラジオを聞いたり、サウナに行ったり、美味しいもの食べたり。毎日仕事なんてしてる暇がないくらいに、やりたいことだらけだ。

とても嬉しい状況だけれど、ここでも少し問題があった。やりたいことだらけで、何から手をつけていいかわからなくなる。物事には優先順位というものがつけられるが、生憎僕はそれが苦手だ。もっといえば、優先順位はつけられるけれど、その優先順位の通りに行動することが難しい。絶対に今やらなければいけない、圧倒的優先順位1位のものがあったとて、その時の気分でやることを決めてしまう。(順位とはなんだったのだろうか…。)

気持ちとか気分とか

でもこのやり方って実は案外悪くないところもある。それは、自分がやりたくないとか、嫌だなって感じることに関してだ。やらなきゃいけないことの中に、自分があまり進んでやれないもの、やる気が起きないものって大抵みんなあると思う。(ない人はめちゃめちゃすごい人なので、マジでそれを誇っていい。)そんなものに優先順位をつけたところで、やるべきであろうとなかろうと、結局やりたくなくなってやらずに終わってしまうというオチもよくある。そこで登場するのがこの気分の話。

自分が嫌なことに対して悩んでいる時、急に吹っ切れる瞬間ってないだろうか?考えすぎたり悩みすぎたりした結果、「ええ〜い!もうどうにでもなれぃ!」みたいな感じ。でもこういうのって、ちょっと経つと冷静に戻ったりする。だから僕はその瞬間を逃さない。「どうにでもなれ!」と思った瞬間、行動に移している。何もそんなに大袈裟な話じゃない。勉強しなきゃとか、あの人に話さなきゃとか、予約しなきゃとか、そういう小さな小さな、でも自分からしたら大きなことだ。

オンライン英会話:お昼休み

一昨日もそれをした。今年の目標の一つに英語力の向上を挙げている僕は、オンライン英会話を年始から始める予定だった。そう、「だった」。一昨日は1/8。年が明けてから一週間以上も経っていた。始めなきゃな…でもまだ不安だしな…。そうこうしているうちに、仕事が始まり、2021年の一週目が終わりを迎えようとしていた。

昼休み。ご飯を食べながら、英語の勉強について考えていた。「でもまだ今年の英語勉強のスケジュール立ててないし、英会話は後からでもいっか?」とか考えていた僕の脳内に、突然衝動が走った。

「今、英会話を予約しろ!」

なぜかわからないけど、突然この声が僕の頭の中に鳴り響いた。そう、こういう突発的な瞬間の思いこそ、僕は大事にしている。この瞬間を逃すと、次はだいぶ先になることがわかっているから。そして今この声を聞かない理由なんて、実はどこにもないから。この瞬間を逃したら、何かが遠のいてしまう。そんな脅迫めいた思いに駆られて、僕は昼休み終了の3分前に、オンライン英会話の予約をした。

オンライン英会話:帰宅後

帰宅後。英会話の予約をしていた時間が迫る。久々の英会話。どうやって進めようか、何を話そうか、自己紹介ってどうやるんだっけ、解決するはずもない不安が僕の中を襲いまくる。もちろんその答えが見つかることはなく、レッスン開始の時間になった。講師が画面の向こうに現れる。とっさに僕は「ハァ〜イ」と、初心者丸出しの挨拶をした。

その後も英会話は続く。相手の質問が何言ってるかもよくわからないし、自分が何を言っているのか、そもそも何が言いたいのかもよくわからない。案の定出てくる英語は支離滅裂で、動詞が二個出てくるわ、時制が過去と未来を行ったりきたりだわ、いわゆる散々という結果だった。

めちゃめちゃ悔しかった。自分がこれまでにしてきた英語の勉強が全然足りていないことがわかったし、純粋に話せない恥ずかしさや、もどかしさもあった。25分のレッスンはそのまま終了。相手の人がめちゃめちゃ優しかったので、こっちのペースに合わせてもらえたけれど、とてもslowlyな会話だった。

でもやれた。25分間、相手に待ってもらいながらも、言語が異なる人とのコミュニケーションをし終えた。そう思った瞬間、どっと安心感が出てきた。達成感を感じるようなことは何もしていないのに、何かを終えたような感覚になった。まだまだなとこはあるけど、ガンバロ。なぜかそう思えた。やって良かったと、心の底から思えたのだ。この前を向いた自分の気持ちは、お昼休みにした勢い任せの予約から産まれたものだった。パサパサになった口で飲む水は、死ぬほどうまかった。

最後に

何かに取り組む時。いろいろな方法があると思う。世の中にはそれを論理的に、科学的に研究したものや提言しているものもたくさんある。でも残念ながら、自分の気持ちがそれに追いつくかは別だ。だからこそ、たまには気持ちに正直になって、何かに取り組んじゃうのもアリだと思う。もちろん失敗もあるけれど、自分でもびっくりするようなものが手に入ることがあるかもしれないから。

2020年はHIPしてHOPした年だった

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明けましておめでとうございます。新年になかなか執筆できずにいましたが、昨年のまとめを書いていないので、ちょっと振り返りの時間を取ることも兼ねて、文章にしていきたいと思います。 

梅田サイファーと出会って

昨年は、僕がガッツリHIP HOPにハマった年でした。きっかけは忘れもしません。2月8日土曜日、18時から梅田CLUBQUATTROで行われた、梅田サイファーのライブでした。それまで僕は、音楽を聞いたり、ラッパーのラジオ(Creeoy Nutsのオールナイトニッポン0)を聞いたり、バトルの動画を見たりという形で、HIP HOPと触れていました。特にバトルから入ったこともあって、曲にはまだまだ馴染みがなく、もっといえばHIPHOPがどんな文化なのかということも、ほとんどわかっていませんでした。ラップ=HIP HOPみたいなイメージでしたね。

そんな中でもハマっていたのが梅田サイファーというグループでした。このグループが2019年に出した「マジでハイ」という曲があまりにも気に入りすぎて、1年以上ずーっとリピートして聞いていました。

youtu.be

そんな梅田サイファーがライブするということで、僕は足を運んでみることにしました。確か1年かけて全国を回っていたと思うのですが、他のライブ会場の映像とかも出ていて、それを見て楽しそうだなぁと思い、チケットを購入しました。全国を回っている間にも梅田サイファーは新曲を出して、僕のライブへの期待はどんどんと高まっていきました。

youtu.be

そして迎えた当日。ライブは言わずもがな最高でした。でもそれ以上に僕はHIP HOPというものがなんなのかということを感じました。ある曲の最中でした。僕は気づいたら泣きながら頭をふっていました。生まれて初めての体験でした。とある人に向けたその曲は、マイクリレーをしているそれぞれのラッパーの想いがこもった曲であり、メッセージでした。

これがHIP HOPなんだな

そう感じました。頭ではなく身体で理解したという感覚が近かったと思います。そんなのはHIP HOPではないという人もいるでしょうが、あの瞬間、HIP HOPをただのラップとして、曲として聞くという次元を超えた気が、僕にはしました。それと同時に思ったことがありました。

これってもしかして僕にもできるのかもしれない

リスナーからプレイヤーへ

ライブを見ていて感じたのは、「言葉」でした。もちろん、韻とかフローとか、ラップの技法としての言葉という側面もあります。ただもっと根底に、ラップというのは、人に自分の思いを伝える「言葉」なんだと強烈に感じました。それは言い換えれば、自分が普段していることに繋がるんじゃないのか。僕たちは日頃から、言葉を使って自分の考えや思いを伝えています。僕の印象ではラップはそれらをもっと突き詰めていった先にあるものだと感じました。

自分の中にある、悩みや苦悩、喜びや楽しさ。一言では言い表せないようなそんな想いを、ラップという形にしているんだと。もちろん僕の中にもいろんな考えや気持ち、もっといえばそんなものにすらなっていないモヤモヤがあったりします。そんなものをラップを通して、自分の外側に出せたら。そういう考えが自分の中を一瞬よぎったのです。

そしてそれを止める理由はどこにもありませんでした。ラップをするのに必要なものは口だけです。言葉を話すことができれば、ラップはできます。別に話せなくても、歌詞は書けます。技術は後からつけるものだし、どんなラップをしていくかは少しずつ考えていけばいい。ただ心の中をラップという形にして吐き出したい。この気持ちを曲げちゃいけない気がして、僕のラップ人生は始まります。

そうしてライブの次の日。僕は早速地元のサイファーに行きました。サイファーとは、ラッパーが日頃のおしゃべりのような感覚で、円を囲んで即興でラップをすることです。僕の住んでいる地域にもサイファーがあったので行きました。最初は見学だけのつもりでしたが、参加していた人に「やっちゃえ!」と言われて、気づいたらラップをしていました。とても楽しかった。その印象が今でも一番強いです。拙いながらも、初めて(正確には2回目)ラップをすることができました。それからそのサイファーには、予定が合うときは顔を出すようになりました。

そこから日々フリースタイル(即興)ラップを練習するようになりました。練習といっても、ぶつぶつとラップらしいものを呟くだけです。時間に余裕があるときはビートに乗せて、通勤中とかは、人に聞こえないぐらいの小さい声で。今その瞬間に思っていることや、見かけたものでラップをするようにしました。その中で少しずつですが、自分の抱えていたモヤモヤなんかもラップにすることができるようになりました。ラップって楽しい。かつてリスナーだった僕は、少しずつプレイヤーになっていって、今もその変化のまっ最中です。

こんな感じで2020年はHIP HOPと僕の関係性が大きく変わる年となりました。ただ、僕が2020年を通してHIPしてHOPしたと言うのは、何もライブに行ったり、ラップを始めたからではありません。HIP HOPから学んだことが、人生に浸透し始めたのが僕にとっての2020年だったからです。

浸透するHIP HOP

梅田サイファーのライブ以降、HIP HOPに触れる度に僕が感じたのは、自分に正直に生きるということでした。それをHIPHOPでは各々の「リアル」と言ったりしますが、何がリアルで何がフェイク(リアルの対義語)という論争もあったりするので、ここではあまりその言葉を使わずに進めたいと思います。

ラッパーの人たちは自分の人生を歌詞にしてラップにしています。その中には自分がどう生きたいかとか、どんなことに憤りを感じているのかとか、清濁を合わせた自分自身の意見が出てきます。世間の評価ではなく、絶対的に自分の評価です。その評価軸には様々ありますが、自分の信念や筋が通っていないことは歌詞にしないし、やりません。

僕もそれがしたいと思いました。自分だけの幸せや正解ってなんなのか。何をして生きていきたいのか。それを得るため、するためには何をすればいいのか。そんなことをこれまでの人生で最も考えた1年でした。さらにいえば、その考えたものを最も実行に移した1年でした。

春の初めに、僕はいろいろなことに挑戦してみました。ブログやゲーム実況、映像制作、Twitterとか本当にいろいろ、興味があるものにはとりあえず挑戦してみました。ですがその中で、やっていて自分が楽しくないものと楽しいものに別れることに気付きました。特に一番大きいなと感じたのが、僕はどうもお金稼ぎを楽しいと思わないということでした。

それに気づくまでは、なんとかお金につながることをやろうと活動していました。ブログで広告費を稼いだり、Youtubeで一発当ててやるとか。でも当然ですが、そのためには試行錯誤が必要です。でもその試行錯誤が全然できませんでした、というかやりたくないなと思いました。そこで初めて、僕はお金を稼ぐことを目的として何かを頑張ることができないらしい、と気づいたのです。

言ってしまえば、お金を稼ぐことは僕の幸せに直結しないということです。こうなるとお金を稼ぐことが大変なことになってしまうので、人生ハードになるかも?と思っていましたが、実はむしろ逆だということにも同時に気付きました。なぜなら僕の幸せは、何かを作ることと繋がっているということがわかったからです。

創作と幸せ

何かを作ること、創作。この文章を執筆することもそうですし、映像を制作したり、ラップをしたりすることもそうです。何かを生み出すこと、それ自体が自分の人生の幸せになるんだと気付きました。お金を稼げるかどうかはいったん置いておいて、自分が楽しそうなことをしてみる。そうやって創作に意識的に取り組むようにしてみました。すると少しずつですが、人生が楽しくなっていきました

映像を作る。文章を綴る。ラップをする。そんなことたちを繰り返していると、時間はあっという間に過ぎていきます。夢中になっていると言えるかもしれません。そんな時間が僕の人生を占める割合が大きくなっていったのです。気づけば毎日、何かしらを創り、生み出すことをするようになりました。

そんな中で新たな目標も生まれました。もっといいものを創りたい。もっと長く創作をしていたい。そう思うようになりました。そのためにはもっとたくさんのことを学ぶ必要があるということも感じるようになりました。自分がどんな人生を送りたいのか、僕なりのHIP HOPとはなんなのかということが、少しずつ形になってきました。

HIP HOPと2021

そんな風にして、HIP HOPは僕の2020年にとても大きな影響を与えてくれました。自分の評価軸を持つこと。自分の幸せを考えること。そして、その幸せに近づいていこうと行動すること。やりたい、楽しそうと思ったなら、ラップしてみればいい。あとのことは、そこから考えればいいから。そんな風にして過ごした先にあったのは、めちゃめちゃ楽しい人生でした。

2021年は、そんな2020年のさらに先を進みます。もっともっと加速したい。この1年はきっと今後の人生の一つのターニングポイントになる、そんな気がしています。そんな想いを、映像やラップや文章や他にもいろんな形で、僕の外側に出して、どこかの誰かに伝えることができればいいなと思います。最後に梅田サイファーの歌詞を引用して、この記事を締め括りたいと思います。

 

「俺らマジで頑張る」 From トラボルタカスタム

大掃除したら、泣きました。

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大掃除。年に一度の戦い。この一年ため込んできた物やらゴミやら、その他もろもろを年末というとても身勝手な理由で一気に処分する。でも僕は問いたい。本当に処分できてますか?

 

「様子見」という名の…

僕はできていない。正確にいうと「全部」は処分できていない。毎年、「様子見」というジャンルが現れるからだ。これはまだ使うかもしれないとか、今年は出番がなかっただけとか、いざという時のため!とか。様々な理由をつけて、使わないけど残る物、様子見たちが生まれる。そしてその様子見たちは、結局何年もその場所に居座り続けることになり、様子見どころか住人のように居座り続けることになったりする。

そんな住人たちを、僕は今年処分した。何を思ったか、急に身の回りにあるものを減らしてみたくなったから。僕はまだ社会人として働き始めて日が浅いけれど、それでも自分が幸せを感じるシチュエーションというものが、少しずつわかってきた。そのシチュエーションの中には、もので部屋が溢れているということは入っていないなと気づいたのが今年だった。だから僕は一念発起して、住人たちと戦うことを選んだ。

 

VS住人たち

僕が今回相手する住人たちは、とても手強い。なぜなら彼(女)らは10年近く、その場所から動いていないのだ。机の引き出しには、10年前に押し込んだまま見るも無残な形で入っているものがあるし、卒業してから一度も使わなかった高校の教科書が、ご立派にダンボール数箱分として残っている。今思い出すだけでも嫌になる。

もちろんこれまでにも、この住人たちに手を出そうとしたことはある。ただいざ片付けようと思うと、その存在感と、中に何が入っているかもうる覚えという恐怖感に気圧された結果、後回しにし続けてきて今に至る。でも大丈夫。今の僕にはラジオとユニクロのマスクがある。長時間の掃除も耳からエンタメを楽しみつつ、なおかつヒモが食い込みにくいユニクロのマスクがあれば、ラジオを聞きながら、淡々と作業をこなすだけでいいはずだ。そう自分に言い聞かせた僕は、いざ掃除に取りかかった。だけどそこには思わぬ出会いがあった。

 

住人たちの正体

ダンボールの中身の多くは、高校の頃に使用した教材だった。その中には、自分が使用していたノートやメモ、プリントなんかも入っていた。今に比べればずいぶん若かった自分が必死になって書いた文字が、そこには勢いよく残されていた。他にもちょっとしたものが入っていた。文化祭や体育祭で撮った写真、準備なんかで使ったもの。思ったよりも、教材以外のものも多く、小さなタイムカプセルのようになっていた。「懐かしいなぁ」なんて歳をとった風のことを思いながら、今となってはほとんど必要なくなってしまった彼(女)らに「ありがとう」と告げ、大半をゴミ袋の中に捨てていった。

少し感傷的になりながらも、大量のダンボール箱を目の前にした僕は、黙々と作業を続けていた。そうすると、ふと一つの封筒が目に入った。可愛らしい、小さな封筒だった。僕に向けての宛名が書いてある。記憶からすっかり抜けていたそれを開けてみると、中には手紙が入っていた。当時付き合っていた彼女の、お母さんからの手紙だった。

 

手紙と彼女のお母さん

その人はとても明るく優しい人だった。まだ高校に入って間もない頃にできた彼女だったこともあり、文字通り浮き足立っていた僕に、壁を作ることなく、朗らかに笑いかけてくれた。会うとすぐによくしてくれて、たくさんお話をした。話も面白い方で、とてもエネルギッシュだった。僕と彼女のバスツアーを予約してくれたりしたこともあって、本当にお世話になった人だった。

でもその彼女とは僕が大学生になって少し経つと別れてしまった。詳しい理由は話さないけれど、その理由は100%僕にあるのは間違いない。突然別れを切り出された僕は、もちろん彼女とその後顔を合わせることもなく、彼女のお母さんとも会うことはなかった。

そんな人からの手紙が出てきた。クリスマスプレゼントとして、スタバのカードを包んでくれていたときの封筒だった。そこには、短くも暖かい文章が書いてあった。当時はただただ嬉しいだけだったが、10年近くの時を経てその文章を見ると、その人がどれだけ娘を愛しているか、そして僕をどれだけ気にかけてくれていたかということが深く、深く感じられた。

その瞬間、気づいたら涙が出てきていた。まとまった感情なんかじゃない。当時の彼女とのいろんな思い出、それと一緒に彼女のお母さんと話した記憶、そんな人たちと僕が別れる原因を生んでしまったこと、その人が大切にした人を、僕が大切にできなかったこと。いろんな想いが一瞬で僕の中に溢れてしまった。僕はそのまま動くことができず、数秒間、ダンボールとゴミ袋が散らかる部屋で泣いていた。

 

僕が「今」できること

落ち着いた僕は、その封筒と手紙に深く感謝した。「本当にありがとうございました。」僕は当時の自分が言えなかったその一言を、手紙に向けて言った。そしてそのまま流れるように、その手紙を封筒ごと破り捨てた。多分今までの僕なら捨てずに取っておいたと思う。大切な思い出として、一生消えない思い出として。でも、それはもうやめた。僕に今できることがあるとするならば、それは思い出に浸り続けることなんかじゃなくて、きっと僕自身が幸せに生きていくことだと思うから。そしていつかもし、また会える日が来たときに、笑って互いの身の上話をすることができたらいいなと思うから。

こんなのは間違いなく、僕のエゴだし自己満足だ。でもそうでもしないと、僕は僕の人生を歩んでいくことはできない。その歩みに、この手紙は必要ない。そう思ったから僕は、その住人を捨てた。

 

大掃除

大掃除は大変だ。やってみて初めてわかる。自分がこれまで見て見ぬ振りをしてきたものたちと向き合わなければいけないから。でもやってみることで、前を向くこともできるのかもしれない。単純だけど大変なこと、それはとても避けたくなることだ。でもそういうものが実は、人生に大切なことだったりするのかもしれない、と片付いた部屋の中で思った。