生きるのが下手くそなエッセイ

人生に悩みまくりの僕カシコが、エッセイやコラムを気が向いたときに書いていきます

この世界の片隅に(2016)

2016年、この世界の片隅にを見てきた

日本アカデミー賞アニメーション賞を見る前から気になっていたので

やっと見ることができたという感じだ

これは太平洋戦争中の広島で、生きて、生活しているすずさんという女性のお話

まず驚いたことに、最初に監督からのコメント映像が流れた

「すずさんは1944年、45年の世界の片隅にいます」

いざ見始めてみると、絵がすごく柔らかいタッチだ

そしてそこにのん(能年の方がわかりやすいと思うが…)の声がすっとマッチしている

そしてそのタイミングで元号表記が分からない俺にはいつのことやらとなってしまった(笑)

今調べたところ1933年あたりがスタートのようだ

序盤は結婚までわりとざっと進み、その後戦争が本格化といった感じ

すずさんの趣味?として、絵を描くということが出てくる

そして、幼少期のだいじなキャラクターとして、りんさんが出てくる

先に述べると、彼女は所々ですずさんと出会い、つながり、その生活を輝かす

ただ本人は最終的に原爆の被害により帰らぬ人となってしまうのだが

話を戻し、結婚してから実家を出て呉に来たすずさん

環境の変化に戸惑いながらも、ご飯を食べ、服を作り生活していく

しかし、戦争はその一方で激しくなっていく

あるとき、義理の姉の娘と共に時限爆弾に巻き込まれ、彼女と右腕を失ってしまう

このシーンはとてつもなく静かだったのが印象的だ

命は簡単に消えてしまうもの

そんなことを言っているようだった

そして、すずさんは絵が描けなくなってしまう

空襲すら絵に残したいと感じていたすずさんに、広島の原爆が落とされたという知らせが入る

そして敗戦

すずさんが失い堪えてきたものがすべて無に帰した

それでも、すずさんは生きていく

家族のうち、生き残ったのは妹だけだった

でも笑いあって生きていく

母を亡くした子を引き取った

そして家族と共に、今日も朝からかまどの日を炊くのです

あまりまとまらなかったが、この作品は、どんな環境であっても生活を続けたすずさんの物語だ

それは、映画の中の世界の片隅にあった生活で、何も特別なことではない

それはきっと形は変われど、私たちが生きているこの世界の片隅にもあるものなのだ

監督は最後の映像で「食」を通してそれが残っていると述べていた

この映画は非常に食の描写を丁寧に行っていて

監督のメッセージが垣間見えた

この世界の片隅にいる、私を見つけてくれてありがとう」

そうすずさんは旦那に言う

でも多分これは、りんやりんの子からすずさんにも言える言葉なのである

もっと言えばすべての人のつながりもそうだ

この作品は、人の強さや、そのつながりの尊さを描いているように感じた

そして、太平洋戦争が終わって、長い時間が経った

今一度日本人は、そのあり方を各々がしっかりと考えるべきだ

あなたも、この世界の片隅にいるのだから