生きるのが下手くそなエッセイ

人生に悩みまくりの僕カシコが、エッセイやコラムを気が向いたときに書いていきます

50日目 <意識高い系について思うこと1>

おはようございます。

カシコです。

ひさびさにカップラーメン食べたんですけど、

こんなにボリューミーだっけ?と思いました。

逆に言えば、いい感じに食事のバランスがとれていたのを、

めちゃくちゃにしちゃったのかもなと、

ちょっと不安です。

でもカップラーメンはおいしかったので、

また食べたいです。

 

なにこの導入?

今日は意識高い系について話をしていきたいと思います。

細かいことはおいておき、僕の考えの置き場みたいになるかもしれませんが、よろしく

お願いします。

 

 

<意識高い系とは>

意識高い系という言葉を聞いたことはあるでしょうか。

多分学生の方だと知っている人が多い気がします。

検索するとWikipediaでは

 

意識高い系(いしきたかいけい)とは、自分を過剰に演出する(言い換えれば、大言壮語を吐く)が中身が伴っていない若者[1][2]、前向きすぎて空回りしている若者[3]インターネットにおいて自分の経歴・人脈を演出し自己アピールを絶やさない人[4]などを意味する俗称である。

大学生に対して使用されることが多いが[5]ビジネスマン主婦など若者・学生以外の層に対して使用される場合もある[2][6][7]。「意識高い系」の特徴として、自己啓発ボランティア政治)活動や人脈のアピール、あえて流行のカタカナ語を使うなどが挙げられる[1][8][9]。嘲笑の対象として「意識高い系(笑)」と表記されることもある[5]

 

となっています。

もちろんこんな話をするぐらいなので、

僕も会ったことがあります。

ですが、僕はあまり彼らが好きではありません。

それには様々な理由がありますが、

一つにかつての僕が意識高い系の人間だったからです。

 

<意識高い系だった頃>

僕はちょうど大学二年生になったあたりで、

意識高い系の大学生になっていきました。

きっかけは何個かあるんですけど、

大学が二年目になり、どうやって大学生活を過ごしていこうか、

と考え始めたことでした。

大学でやるべきことの中には、20代としてやるべきこと、

というのも含まれることになります。

そうやって考えているうちに、

20代を通してやるべきことを考えることが最も重要じゃないのか

と思うようになりました。

そこから、「20代 やるべき」みたいなワードで検索をかけて、

ヒットした本、つまりは自己啓発本を片っ端から読んでいきました。

時間の使い方とか、やりたいことの見つけ方とか、

それなりにはまって読んでいました。

その勢いはすさまじく、周りの友達にも、

この本面白いからおすすめだよ!

という感じで声をかけるようになり始めました。

そこからとどまることを知らず、

知り合いが募集したボランティアとかに顔を出すようになったり、

大学でやっていた交流会なんかに急に参加するようになりました。

そこでは、今後の人生はこうしていくべきだ、

今これをやっておかなければやばい、など、

脅迫観念にとらわれたようになり、

まるで新興宗教にはまったようでした。

ですがあるときから、自己啓発関係の本を読んでいても、

あまり面白みというか、感動を覚えなくなりました。

それは、書いてあることの共通性に気づいたからです。

もっと言えば、どれもおなじことを違う切り口で述べているだけ、

ということに気が付きました。

そこから自己啓発の世界から足を洗うのに、

そう時間はかかりませんでした。

 

<次回は…>

今日は、僕が意識高い系を語る前提を共有してみました。

分割回になってしまいましたが、

明日は「意識が高い人間」と「意識高い系の人間」について、

僕が思うなりの違いを書いていきたいと思います。

というわけで本日はここまで。

お読みいただきありがとうございました。

お相手はカシコでした、よい1日を!