生きるのが下手くそなエッセイ

人生に悩みまくりの僕カシコが、エッセイやコラムを気が向いたときに書いていきます

51日目 <意識高い系について思うこと2>

こんにちは。

カシコです、

今日は昨日の続き、意識高い系について話していこうと思います。

それではいってみましょう。

 

 

<意識高いと高い系>

昨日の記事で、意識高い系について結構お話ししました。

 

becinema.hatenablog.jp 僕がかつて意識高い系だったということも兼ねて、

前提の共有ができたのではないかと思います。

今日はそんな意識高い系と意識高いの違いについて、

僕なりに考えている差について話していきたいと思います。

「系」という一文字がついているか、いないかの差なんですが、

これだけで全然ちがう人物像を指していることになると僕は考えています。

 

<意識高いとは>

そもそも意識高い人間とは、どういうことなのでしょうか。

意識高い系のように、Wikipediaなどでまとめられていることもないので、

ここに関しては個々人で定義や考えの差がありそうな気がします。

僕の場合は、

ある目標を達成しようとしており、それまでにも何かしらの実績がある人

という風に考えています。

例を挙げるとわかりやすいのですが、

〇〇コンテスト入賞実績、現在独自サービスを開発中とか、

海外ボランティア経験多数、現在諸外国での事業立ち上げに関わるとか、

大学でサッカーで好成績を残し、現在はコーチとして地元のチームを盛り上げている、

とかですかね?

もちろんこの考え方だけで完全に線を引くことはできませんし、

なんならそこまできっちり線を引くこともあまり意味はないでしょう。

僕がここで伝えたかったのは、

達成したい目的に対して何かしらの手段をとって、なおかつ行動している人

が本当に意識が高い人じゃないか?ということです。

この「目的」という部分が、

僕が「系」をつけるかつけないか考えるときに重要になってくる観点です。

 

<「目的」は何か?>

結論から言うと、

意識高い系の人々は、過程や手段を目的化してしまっている

というのが僕の考えです。

先ほどもいったように、本当に意識が高い人は、

目的にとって必要な手段を考え行動に移しています。

さっきの例でも、

・コンテストで入賞するようなものや自分の作りたいサービスを作るという目的

・海外事業に貢献するという目的

・地元のチームを盛り上げるという目的

が挙げられます。

それらの目標に対して、それまでの手段が実績として積み重なっているわけです。

(海外ボランティアの例なんかはわかりやすいかもですね。)

ですが、意識高い「系」の人々は、その目標がありません。

正確に言えば、目標に至るまでの過程を目標にしてしまっています。

偏見入りまくりの例(僕が実際に出会った人たち)ですが、

例えば、学生団体に入っている人なら、

その学生団体でなにかをやる、

というやってること自体をアピールしてくることがあります。

あとは、スタートアップでインターンしてるもそうですね。

インターンしてること自体の話をしてきます。

なにかで人を集めるときの文句も、スピード感が体感できるとか、

自分が成長できるとかだったりしました。

要するに目的を達成する過程こそが価値があり、

その過程を経験中の自分はすごい、

ということをアピールしてくるわけです。

ですが、本来なら

Aというやりたいことがあって手段として学生団体に入っている

が普通ですよね。

どこにいるかではなく、

何をしているか、何を達成したかという目的を話すことが大事ではないでしょうか?

また目的を本当に重視しているなら、その過程を誇ることは難しい気がします。

だって過程を誇るっていうのは、目的がまだ達成できていないことをアピールしているのですから。

もちろん人それぞれの考え方はありますけどね。

ちょっと辛辣&偏見スタンスで書いてしまいましたが、

僕は意識高い「系」と意識高いの差はこう考えています。

 

<終わりに>

2回にわたって書いてきましたが、

僕は別に意識高い系よ滅べ!とかは思っていません。

もちろん個々人の自由ですし、

なにより彼らが持っているエネルギーや熱量は素晴らしいと思うからです。

ですが、僕自身は苦手なので、

できれば遠くから「あいつ、あっちぃなぁ~」と、

見ているぐらいにとどめておきたいですが(笑)

というわけで本日はここまで。

お読みいただきありがとうございました。

以上カシコでした!また明日!