52、53日目『愛がなんだ』感想 「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」
#映画
こんばんは。
今日は『愛がなんだ』(2019)を見たので、感想を書いていきたいと思います。
ネタバレがっつりするので、気になる方は先に見てきてください。
- <主な登場人物&ストーリー説明>
- <オープニングが秀逸>
- <全員同じ穴のムジナ>
- <カメラワーク>
- <Goodエンドとしてのナカハラ&葉子>
- <Badエンドとしてのテルコとマモちゃん…?>
- <この映画は『愛がなんだ』なんだ>
- <「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」>
<主な登場人物&ストーリー説明>
テルコ:主人公。マモチャンが大好き。マモチャンのためなら、会社だってクビになるし、好きな時に駆けつけてあげるし、ヤらせてもあげる。
マモちゃん:テルコの好きな人。好きな時にテルコを呼び出すけど、テルコのことは好きじゃない。別の人が好き。でもたまにヤらせてほしいとかいう。気分屋。
葉子:テルコの友達。テルコの相談相手になることが多い。後輩のナカハラをはべらせている。ちょいちょい自分勝手。
ナカハラ:葉子の後輩。葉子が好き。だけど葉子の恋人になりたいとかではない。「寂しくて呼べば来てくれるやつ」になりたい。テルコとも仲いい。
見ての通り、まともな奴がいません(笑)
<オープニングが秀逸>
まずこの映画、OPが非常によくできています。
最初に、テルコが電話に出ているシーンから始まります。
「え、マモちゃん体調悪いの?買い出し?仕事帰りのついでに?もうちょうど帰るところだからいいよ、仕方ないなぁ…」
と言いながら、家からマモちゃんの家に向かいます。
マモちゃんのためなら、どこからだって駆けつける、
でもマモちゃんにはそれを明かさないという、
メンヘラチックな重い女性なんだ
ということがこの1カットでわかりますね。
続いて、マモちゃんの家に移り、
テルコがマモちゃんの看病をするのですが、
頼まれてもいないのに、
掃除などもしちゃいます。
それを見たマモちゃんが、
「もう帰って」と、強引にテルコを外に追い出します。
これだけでマモちゃんが、テルコをいい様にはべらせて、
扱っているだけなのがわかります。
そのまま帰宅するお金がなかったテルコは、友人の葉子の家に行きます。
葉子はナカハラと寝ていましたが、家に招き入れ、
またナカハラにはビールを買ってくるように言います。
ナカハラはビールを買ったら、家に帰ります。
ここでナカハラが葉子の都合のいいように動くという人間、
葉子が自分勝手なタイプだということがわかります。
この映画、これを前半の10分~20分程度で描いていたと思います。
主人公たちのキャラクターや関係性が一発でわかる、
とてもいい導入だと思いました。
<全員同じ穴のムジナ>
この映画は、こんな恋愛とは呼べないような、
泥臭く依存しあっている人間関係を書いている映画です。
テルコがマモちゃんとイチャイチャしても、
それは彼氏彼女だからではない。
でも、二人の将来を想像して、
動物園で象を一緒に見たりしてるわけです。
マモちゃん「俺、33になったら、象の飼育員になる」
テルコ「(その未来に私もいるのかぁ…)」涙を流す
マモちゃん「え?なんで泣いてんの?ウケる」
こんな戯言を繰り広げながら。
そんなテルコに、葉子はアドバイスします。
「そんな男だめだよ」「仕事しろよ」
なるほど、一見葉子は、テルコに正論を言っているように見えます。
ですが、葉子の話になると、葉子もゆーてダメなやつだとわかるのです。
こんな感じで、この物語は、
誰が正義に立つわけでもなく、
同じ立場=関係や環境に依存する人間
が互いに言い合いをしている様子を描いているのです。
これぞ、同じ穴の貉です。
<カメラワーク>
じゃあそんな細かな物語が面白いのかというと、面白いです。
それはこの映画のカメラワークなどによる演出があるのではないでしょうか。
この映画は、結構ロングテイク=長回しが多く、
カットが入らないで続くシーンが見られます。
そうなると、役者の演技だけが間をつなぐことになりますが、
その役者陣の演技が素晴らしいです。
個人的には、マモちゃん役の成田凌さんとナカハラ役の若葉竜也さんの演技が、
とても魅力的でした。
こういうやついるなぁ…とあざけ笑われるような人物を、
見事に体現していたと思います。
また他の演出でも、気持ちをラップさせたり、
過去との回想を現実と混ぜたりして、
観客にテルコの心情描写を丁寧に追わせるようにして、
飽きさせないように工夫されていました。
グダグダな人間関係を、効果的に演出していたと思います。
<Goodエンドとしてのナカハラ&葉子>
そんなグダグダな主人公たちにも、物語の終わりが訪れます。
この終わり方が、この映画を一際輝かせているといっても過言ではないでしょう。
まず、ナカハラと葉子の関係が描かれます。
ナカハラは物語が進む中で、自分が葉子に依存していることで、
葉子をダメにしているのではないかと考えるようになります。
ちゃんとした恋愛でもない、このグダグダの関係性にナカハラは向き合います。
ナカハラ「俺じゃなくてもいいっていうのがしんどいんすよ」
そこで意を決して、葉子との連絡を絶ちます。
でも葉子は、ナカハラと連絡が取れなくても、あまり気にしていませんでした。
葉子が必要なのは、「ナカハラ」ではなく「相手をしてくれる誰か」だったからです。
ですが、ナカハラの決意を知ったテルコは葉子にぶちギレます。
テルコ「葉子ちゃんはナカハラのこと雑に扱いすぎだよ!」
葉子「自分のことナカハラに重ねて、文句言わないで!」
どちらもド正論です(笑)まさに裸の殴り合い。
でも今までこういう衝突がなかったのは、
人間関係にしっかり向き合ってこなかったからでしょう。
この言い合いがきっかけでナカハラに続き、
葉子もグダグダ関係を見直す機会になります。
それから幾ばくかの時間が経ち…。
ナカハラは得意のカメラで写真の個展を開いていました。
そこにふっと現れた葉子。なんで、と尋ねたナカハラに
「ナカハラ青(フルネーム)で検索したら出たから」
と葉子は答えます。
葉子にとってのナカハラは、
「俺じゃなくてもいい」から「ナカハラじゃなきゃダメ」という存在になりました。
そして個展にかざってある葉子の写真を二人で照れくさそうに見つめます。
このように葉子とナカハラの関係性は、きれいに整理されます。
依存しあったグダグダな関係ではなく、
きれいな恋愛映画のような関係性になります。
これはまさしくGoodエンドと呼べるような終わり方ではないでしょうか。
<Badエンドとしてのテルコとマモちゃん…?>
テルコにもその機会が訪れます。
突然マモちゃんから連絡が来るのです。
ですが、体調が悪いからとテルコが断ろうとすると、
マモちゃん「山田さん(マモちゃんのテルコの呼び方)に話があって…今家の前なんだけど」
と、珍しくマモちゃんから積極的にテルコにコンタクトをしてきます。
そしてOPのシーンの逆転で、
今度はマモちゃんがテルコの看病をします。
そこでマモちゃんから
「俺たち会うのやめよう」
と言われます。
このシーンは映画における最大のチャンスです。
葉子とナカハラの関係で示唆される、マトモな男女の関係。
二人の関係がフリダシになったかのような、OPの反復の演出。
そしてとどめにこのグダグダ関係を終わらせて、
まっとうな関係に戻ろうとするマモちゃんの提案。
テルコがやり直して、ちゃんとした人間関係、ひいては生活を立て直すには、
これ以上ないほどに整えられたチャンスの瞬間なのです!
で・す・が
物語にはフラグはつきものです。
結婚式が控えてると言ったキャラは死に、大丈夫といったキャラは大丈夫ではなく、
一生の親友は目の敵になったりします。
そう、ここでテルコはマモちゃんの提案を断るのです。
しかも断り方が、
「私がマモちゃんを好きなわけないじゃん、いい男紹介してもらうためにも、
また遊ぼうよ」
です。
マモちゃんにくっついていられれば、そばにいられれば、
もう立ち位置なんかどうでもいいというスタンスに振り切ったのです。
しかもこのシーンをロングテイクで魅せる演出には、
もうすごすぎてお手上げでした(笑)
この後、テルコとマモちゃんの関係はどんどんぐちゃぐちゃになっていきます。
それは最後のシーンでもいやというほど、アピールされています。
<この映画は『愛がなんだ』なんだ>
ラストシーンでは、テルコが象の飼育員になっているのです。
かつてマモちゃんがなりたいと言っていた職業に…。
この関係性は言うまでもなく、ナカハラ&葉子とはまるで正反対です。
彼ら彼女らをGoodエンドとするなら、Badエンドといえるでしょう。
ですが、この映画のタイトルをここで思い出してください。
『愛がなんだ』
映画や一般的な意味における「愛」とは、
きれいな人間関係の基になりたっているものでしょう。
この映画でいえば、ナカハラ&葉子がまさにそれです。
グダグダの依存関係ではなく、互いをちゃんと一人の人間として認めあって、
想い合う関係。
しかし、テルコはその関係性の可能性を自らかなぐり捨てたのです。
きれいな関係性?人としてちゃんとする?それこそが「愛」?
は?知るかそんなもん。愛がなんだ。
私はマモちゃんのそばにいられればそれでいい。
テルコが出した結論はこうでした。
つまりテルコにとって、マモちゃんとのこの関係性は最善の一手なのです。
この関係に満足しているのです。
ではそんな彼女に対して、Badエンドなどということはできるでしょうか?
いえ、僕ならこういいます、
他人や社会よりも自分の幸せを求めたTrueエンド
だと。
<「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」>
というわけで僕なりに『愛がなんだ』の感想をまとめてみました。
最後に、全体を通して、見た直後の僕自身の感想や思いをつづりたいと思います。
まずこの映画を見終わった瞬間に、「気持ち悪い」と発してしまいました(笑)
これはテルコに対してですが、完全にメンヘラで一線を越えた彼女には、
このように感じてしまいました。
多分そう思った方は少なくないんじゃないかと思います。
それと同時に、この映画の登場人物たちとは関わりたくない、とも思いました。
正直絡んでてめんどくさい人たちですし、実際周りにいても、
「なんかごちゃごちゃさせてんなぁ」と、僕は遠くから見てるだろうなぁと思いました。
ですが、同時に感じたのが、
僕もあんまり変わらないかもしれない
というある種の恐怖感でした。
他人に人生や恋愛で口出しするけど、自分ってそんなに清廉潔白、完全無欠でもない。
他人から見たときに、「ごちゃごちゃやってんなぁ」と思われるかもしれないと、
ふと感じてしまったのです。
上の階から覗き込んで、テルコたちをあざけ笑っていたら、
知らぬ間に僕も下の階に降りていて、テルコたちを真横から見ていたのです。
そんな僕の頭に浮かんだのが、誤用かもしれませんが、
「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」
というニーチェの言葉でした。
この映画を見終わった直後の僕に当てはめるなら、こうなるでしょう。
「『愛がなんだ』をのぞく時、『愛がなんだ』もまたこちらをのぞいているのだ」
というわけで以上『愛がなんだ』の感想でした。
見視聴の方はぜひ見てみてください。
一度見た人も、見直すと別の楽しみ方ができるかもしれません。
ここまでのお相手はカシコでした。それでは!
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