『1917 命をかけた伝令』感想 「見せないことで魅せる作品」58、59、60日
#映画
こんにちは、カシコです。
先日、第92回アカデミー賞3部門などを受賞した映画、
『1917 命をかけた伝令』(2019)を見てきたので、
その感想をまとめていきたいと思います。
ネタバレがっつりの感想となっていますので、気になる方はお気をつけください。
※手元に作品があるわけではないので、細かい部分のミスがあるかもしれませんので、
ご了承ください。
<主な登場人物>
スコフィールド:本作の主人公。イギリス軍の兵士で、友人のブレイクと共に急遽任務を言い渡される。それには1600人の命がかかっていた。
ブレイク:スコフィールドの友人。任務で助ける部隊に自信の兄がいることから、任務に抜擢された。任務のパートナーとして、スコフィールドを連れていく。
ブレイクの兄(名前忘れました):ブレイクの兄。ブレイクの任務で助ける部隊に所属している。本作の目的となる人物の一人。
マッケンジー大佐:任務の対象となっている部隊を率いる人物。スコフィールドとブレイクは、作戦開始の明朝までに彼に会いに行かなければならない。今作の最も重要な目的人物。
<簡単な物語の紹介>
1917年のとある朝。第一次世界大戦中のイギリス軍に所属するブレイクとスコフィールドに任務が与えられる。その任務とは、最前線にいる1600人規模の部隊に、明朝に開始される攻撃作戦中止の命令を伝えること。ドイツ軍は撤退したと見せかけ、その最前線の部隊を返り討ちにしようと罠を仕掛けていたのだった。このまま攻撃作戦を行えば、部隊にいるブレイクの兄も死んでしまう。明朝までというタイムリミットを背負いながら、1600人の仲間の死、兄の死を防ぐために、ブレイクとスコフィールドは、部隊を率いるマッケンジー大佐のもとに走る。
<ゲームのような物語の構成>
この作品の大きな物語はいたってシンプルです。
それは部隊を率いるマッケンジー大佐のもとへ、明朝までに向かうこと。
その大きな軸を基に、物語が小さく分けられ、部分ごとに展開していきます。
個人的にこの感覚は、ゲームをプレイしているように感じられました。
もちろん時代順でいえば、ゲームが映画を踏襲しているのですが、
物語の各パートの分け方が、
ゲームのチャプターのようにはっきりと分かれていたのです。
ざっくりまとめると、
パート1:命令をうけて、相手の前線へと向かう
パート2:廃屋の出来事&他舞台との合流
パート3:廃墟と化した町
パート4:最前線舞台との合流
こんな感じでしょうか。
もちろんもっと細かく分けることもできますが、
どちらにせよ、このパートの間にはセーフルームみたいなパートが挟まれます。
セーフルームとはゲームにおける、
この部屋に入っていれば攻撃されない、みたいなものなのです。
この映画だと、このシーンでは戦闘や惨事は起こらないだろう、
という雰囲気がある程度演出されています。
これにより、イベント→休憩→イベント→休憩、
というリズムで物語が進行していくので、
パート間の区切りがより強調されたのではないかと思います。
さらにパート間における、アイテムでのつながりなどもゲーム感を強めています。
例えばパート2で手に入れたアイテムが、パート3で役に立ったりします。
これを見たときに、「あ、あそこでアイテム拾っておいてよかったな」
みたいな感覚に僕はなりました(笑)
また、後程詳しく触れますが、この映画は全編ロングテイク(長回し)なので、
そのカメラワークが、
TPSなどのシューティングゲームに似た構図を生み出していたということも、
このゲーム感につながってくると思います。
以上のように、任務という大きな物語の中で、
各パートごとに話を展開して積み上げていくという、
ある種ゲーム的な物語と構成だったと僕は感じました。
<ロングテイクによる緊張感の演出>
先ほども触れましたが、この映画の最も大きな特徴は、
全編ロングテイク(長回し)で撮影されている(風)
だということです。
ロングテイクというのは、カットを挟まずにシーンをずっと続けていく撮影法です。
この映画は、デジタル技術なども用いていると思いますが、
全編をロングテイクで撮影したように見せています。
つまり、映画の中で一回もカットが入らないのです。
(正確には演出としてちょっと入りますが)
このような演出は僕が見た他の映画だと、
『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(2015)
がありますね。
この作品は結構ロングテイク自体を前面に押し出して、
どうやって面白く奇妙な演出ができるかということを、
特徴にしていたという印象でした。
ですが、今作は緊張感を生み出す、という目的のために、
ロングテイクを効果的な手段として用いていたように感じます。
それを僕なりの言葉で言うなら、
ロングテイクを用いた「見せない」ことで「魅せる」演出
を行っていたと思います。
もう少し詳しく、述べていきましょう。
<4つの見せない魅せ方>
僕はこの映画を見る中で、「見せない」演出が大きく4つ感じられました。
それは、音、光と影、動き、キャラクターです。
それぞれ詳しく説明していきます。
<音で見せない>
この演出は映画の中でも、常に行われていたと思います。
ロングテイクということで、
カットがない=映像としての場面転換がないということになります。
その代わりにこの作品では、音を用いて場面転換を行っていました。
例えば、野原に出た後に、「バラバラバラ…」と何かの音だけが聞こえてきます。
その音をカメラが辿ると、そこには戦闘中の飛行機が映されます。
つまり音→映像の順で場面の切り替えを表現していました。
最初はあえて映像を「見せない」で、音だけを聞かせる
↓
カメラがその音の発生源を映して見せることで場面が切り替わる
他にも、銃声だけが聞こえる→敵兵が見える、
歌だけが聞こえる→部隊の人々が見える、
ような形で映像は「見せない」で、音で「魅せる」演出が多用されていました。
<光と影で見せない>
これは主に、廃墟の街のパートで使用されていました。
このパートでは、後半が明け方になっていて、
外が真っ暗な時間帯から始まります。
その真っ暗な外の中に、戦闘の炎や、
飛行機の光により強烈な光と影のコントラストが生み出されます。
この影により、スコフィールド(主人公)と観客は、
周りが「見えない」状態になります。
そして、何が起きているのかがよくわからないまま、主人公は部隊を目指して、
前進していくのです。
その中で、この暗くて「見えない」ことが効果的に利用されています。
例えば、スコフィールドが二人組の敵(A&B)を見つけ、
Aにばれないように、Bを影の中で殺したりします。
これは「見えない」ことにスコフィールドが救われる場面ですね。
逆にこの「見えない」がスコフィールドを窮地に追い込んだりもします。
スコフィールドが炎の傍で人影を見つけ、味方かな…?と思って近づいていくと、
だんだんとそれが敵だとわかり、発砲されてしまいます。
そこからスコフィールドは決死の思いで逃げ始めるわけです。
これらはロングテイクであるからこそ、
「見えない→見える」の変化が途切れることなく続き、
より良い効果をもたらしていると言えるでしょう。
このように、光と影によって周囲や人を「見せない」ことで、
この場面の緊張感を高めて「魅せる」わけです。
<動きで見せない>
これが最もこの映画で重宝されていたのではないでしょうか。
そもそも動きで「見せない」ってどういうこと?ってなりますよね。
動いてるなら見せるんじゃないの?って(笑)
別の言葉でいうなら、ギリギリまで引っ張る動きをする、ってことです。
例を挙げながら、説明しますね。
最初の山場である、
敵ドイツ軍の前線にスコフィールドとブレイクの二人で向かう場面です。
任務を下した将軍曰く、「敵の前線は撤退して空っぽ」とのこと。
しかし味方の前線では、「数日前にも仲間が死んでる、そんなわけがない」と、
あっさり言われてしまいます。
つまり、敵がいなくなった「はず」の前線に二人で乗り込むわけですね。
戦場を乗り越え、だんだんと敵の前線に近づいていく二人。
敵の塹壕の手前まで近づくと、
そこからカメラは動きが緩やかになります。
塹壕の中には敵が本当にいないのか…、
いやもしかしたら罠で、銃を構えて待っているかもしれない…
という緊張感が、カメラがなかなか塹壕の中を動いて「見せない」ことで、
ずうっと引っ張られます。
そしてようやく、いざ、塹壕の土の山を越えた瞬間!
カメラは空っぽの塹壕を捉えるわけです。
こんなのドキドキしないほうがおかしいでしょう(笑)
つまり、
カメラ動かないことで、「見せない」状態を持続し、
その緊張が高まった瞬間に一気に見せる(魅せる)!!
というわけです。
これはロングテイクの最も効果的な使い方の一つとも言えるでしょう。
さらに、緊張感を引っ張った後に見せるときには、
ロングショットや超ロングショットが多く使用されていたと思います。
これらは、人物の全身を映したり、背景を広く見せる、
「引きのショット」という意味です。
これにより、画面内の情報量が一気に溢れることになり、
観客により大きな衝撃を与えるの成功しています。
これの最もすごいのがラストシーンです。
スコフィールドはマッケンジー大佐に会うために、
最短ルートである最前線の戦場を走り抜けようとします。
戦場に出るまでの塹壕を出るまでの引っ張りもすごいのですが、
出た後のロングショットが圧巻です。
スコフィールドが全力で走り抜ける中、
部隊の兵士たちが爆発と共に一斉に戦場とスコフィールドを横切っていくのです。
じれったいほどに「見せない」ことで引っ張られた分、
「どうだ!見ろ!すごい迫力だろ!」
という気概が伝わってくる壮大な場面になっていました。
これはぜひ、本編を見て体感してほしいと思います。
まとめると、
ロングテイクによるゆっくりとした動きにより、「見せない」状態を維持することで、
その後のショットや場面を思いっきり「魅せる」という演出につながっていました。
<キャラクターを見せない>
最後にキャラクターです。
これは上述の3つほど強くはないのですが、
個人的に印象に残ったので取り上げました。
この物語は、最初にも述べたように、
ブレイクの兄とマッケンジー大佐を目的としたものです。
この二人が出てくるのは映画の終わり際なので、
そこまで全くどんな見た目の人物かというのはわかりません。
ですが、少しずつ会話の中でヒントが与えられていきます。
例えばブレイクの兄であれば、
「ブレイクに似てるけど、背は少し高め(低めだったかも)」
マッケンジー大佐には「意地で戦う人間もいる」とコメントされる
など、その人のパーソナリティに関する情報が少しだけ与えられるのです。
その中で、観客とスコフィールドは、どんな人間なのだろうかという、
疑問と不安を持ちながら物語を進めていきます。
そしてついに前線部隊に合流し、この二人に出会う瞬間が訪れます。
マッケンジー大佐を例としてあげると、声がまず聞こえてきます。
そして中に入りその声のもとを辿ると、背中を向けた大佐が。
ここでもカメラは動きをゆるめ、大佐の顔を「見せない」ようにします。
そして、振り向くマッケンジー大佐。
そこで一気にカメラが顔にクロースアップ(近づく)します。
ベネディクト・カンバーバッチ、どーん!!
最高のキャスティングでしょう。
ここまで引っ張ってきた、この映画のゴールを担える人物として、
この映画はベネディクト・カンバーバッチを登用したのです。
映画の物語を閉じるのにはピッタリな役者でした。
このように、キャラクターの描写をほとんど削り、
キャラクターの像を「見せない」ようにすることで、
いざ登場の瞬間となったときの驚きと迫力を増加させ、
「魅せる」演出が行われていたと思います。
※ちなみに主人公にもわずかですがこのような演出がありますが、
それほど大きくはないのでここでは省きます。
<終わりに>
というわけで今回は『1917 命をかけた伝令』(2019)の感想をまとめていきました。
僕自身の全体の感想としては、映画館で見てよかったな!です。
ここまでの感想を読んでもらえばわかるかと思いますが、
この映画は圧倒的に映画館で見たほうがいい作品になっています。
「見せない」演出でも述べたように、
映像と音をこれでもかというほど使った演出が多いからです。
ただ、ほぼ上映が終わりかけているので、
近くの映画館で上映している場所があったら、
今すぐ駆け込むことをオススメします。
これを読んだ皆さんに与えられた伝令は、
「上映終了日までに、この映画を見に映画館に駆け込む」
です(笑)
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