生きるのが下手くそなエッセイ

人生に悩みまくりの僕カシコが、エッセイやコラムを気が向いたときに書いていきます

余裕があると、何もできなくなる不思議

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今日は久しぶりに時間に余裕がある。やることもいくつか終えた上で、自由に使える時間がたっぷりとある。昨日までやりたいと思っていたいくつものことを、一斉に取り掛かるチャンスな訳だ。何をしようか。文章を書くか、音楽を聞くか、アニメを見るか、映像の制作をするか…選択肢は無限に出てくる。出てくるのだが、どういうことか、そこから一つを選ぶのが突然おっくうになってしまう。

 

書こうと思っていた題材はたくさんあるし、片付けようと思っていた服はおきっぱなしだ。見ようと思っていたアニメは未視聴マークがついたままだし、映像制作のために買ったテキストはまだ1ページも開けられていない。やりたいこととして溜まったものがこんなにもあるのに、なぜか今、僕は全くどれも選びたくなくなってしまっている。

 

でもこれは今に始まったことなんかじゃない。これまで何度もあった。時間ができたらやりたいことを、あれでもない、これでもないと夢想した日々を過ごし、いざその夢の瞬間が現実に訪れると、「はて、何をしようとしたんだっけ?」となってしまう。きっとこの経験は、僕だけのものではないのだろう。

 

どうしてこんなことが起こるのだろう。欲しかったはずの余裕が生まれると、その余裕を持て余してしまう。いろいろな考えがあるはずだ。気が抜けてしまうとか、疲れているんだとか、人によってそれぞれの理由を見つけ出して、何もしない瞬間の自分を肯定しようとする。僕もその一人なのは間違いない。そして多分だけれど、僕の場合の理由はシンプルな気がする。

 

何もしない時間が欲しい。

 

この欲求が自分の中で大きいのだと思う。確かに何かをしたいという欲求も僕の中には、たくさん存在する。でもそれ以上に、何もしない時間が欲しい、という欲求が強く在るのだと思う。しかもこいつのやっかいなところは、余裕がないときにはなりを潜めているということだ。余裕ができて初めて、ひょっこりと顔を出す。そしてそのまま他の欲望もたちまちに飲み込んでしまう。

 

そうすると何かをしたいのに、休んでしまう。生まれてくるのは罪悪感だ。あれをするはずだったのに、終わらせるはずだったのに、今日一日サボってしまった。そんなことがここ数年ずっと繰り返されている。そろそろ学習してなんとかしたいものだなと思うのに、どうも心は言うことを聞いてくれないらしい。いや、僕が心の言うことを聞いていないだけなのかもしれない。

 

とにもかくにも、何もしたくない欲求が出たときは、毎度戦いだ。それも圧倒的に自分との戦い。自分に勝つか、自分に負けるか。そんな文字通りのプロレスをしていると、今日もまた時間が過ぎていってしまうのだ。