生きるのが下手くそなエッセイ

人生に悩みまくりの僕カシコが、エッセイやコラムを気が向いたときに書いていきます

僕が『花束みたいな恋をした』にハマらなかったワケ

f:id:becinema:20210215185032j:plain

 

※この投稿は映画のネタバレありの超個人的感想です。気分を害されそうな方は、読まないことをお勧めします。 

 

久しぶりの投稿が、映画の感想になるなんて、思ってもみなかったですね。

というわけで見てきました、『花束みたいな恋をした』。

hana-koi.jp

僕の周りでも見た人は、心を良くも悪くも動かされていて、僕もこれは多分見なきゃいけないんだろうなぁと思って見にいきました。

どんな作品かは公式サイトを見て貰えばいいと思うのですが、男女二人が出会ってから別れるまでを描いた物語です。別れるってことは物語の冒頭から示されるので、どう別れることになるのか、っていう過程を見せる感じですね。

この中で、かつて自分がした恋愛に二人を重ねて、心が動かされる観客が多いというわけだと思います。僕も過去の恋愛を結構引っ張るタイプなので、絶対刺さるやつぅ…と思って見にいきました。

ただ結論から書くと、そこまで刺さりませんでした。

 演技と演出

この映画、基本は主人公である有村架純菅田将暉の演技で構成されています。この二人の演技はめちゃよかったです。組み合わせ的に『何者』っていう映画を彷彿させる瞬間もありましたが、ちゃんと同棲してるカップル、それもうまくいっていない二人が演じられていました。

という感じなので、僕が刺さらなかった理由は演技ではなく、映画の演出でした。この映画の演出で頻繁に行われるのが、「反復」と「差異」です。簡単にいうと、似たようなシーンをちょっと変化させて後から見せるってやつです。

この演出、この映画で多用されます。例えば、二人で同棲を始めた時に、二人でベランダで語らうシーンがあります。これを、二人が別れそうなタイミングで、同じベランダで、同じアングルで再現します。こうすることで、二人の関係性の変化が目立って、別れが近づいていることを観客に感じさせられるってわけです。

ただラストシーンでの演出が個人的にはくどかった。

ファミレスでの山場

二人が別れ話を切り出すシーンがこの映画の山場となっています。それは、かつて告白が行われたファミレスを舞台に始まります。ただし、以前と同じ席は空いておらず、別の席に座りながらですが。

ファミレスに入るまでの1日を共にしていた二人は、今日は楽しかったことを伝え、今まで一緒にいた時の写真を二人で見返したりします。

ここね、僕個人的にすごいグッときました。観客でもわかるんですけど、この後二人は絶対別れ話をするんですよ。さらに言えば、別れなきゃどうしようもない状況だってことも観客は知っている。「別れるという正解」が完全に導き出されているシーンなんです。

でも今までの写真とか思い出を振り返っていると、楽しかった時の感情とか、思い出が一気に蘇ってきます。それで思うわけですよ。「なんでこんなに楽しかったのに、別れなきゃいけないんだっけ?」って。そこで菅田将暉が演じる山音が言うんです。

「俺、別れたくない」

うわぁぁぁああああああ!!ここが僕のピークでした。完全に虜です。めちゃめちゃ個人的な話ですが、僕自身のこれまでの恋愛って、基本的に振られる側だったんです。で、振られる時に思うのが、「今までめっちゃ楽しかったじゃん…?」なんですよ。確かに相手には別れるほどの理由があるんですけど、めっちゃエゴイスティックに「なんで楽しいのに別れようとするんだよ?」って思うんですよ。それで、なんとか続けられないかと、もがき始めるわけなんです。

山音のもがきは「プロポーズ」でした。恋愛としてはうまくいかなくても、生活を共にする家族ならうまくいくかもしれない。そう思って、有村架純が演じる八谷に結婚を申込わけです。最初はただのわがままで傲慢なアイデアのように思いますが、少しずつ八谷も納得しかけます。

その理由が個人的な僕の考えに結構近くて驚きました。要するに、世の中で結婚している人たちって、恋愛とかじゃなくて、生活を回していく協力者じゃないかと。恋愛でなく、空気のような存在になって、互いの不満などを乗り越えながら生活していけばいいじゃないかと。

この考えは僕も結構賛同しています。大前提として、恋愛としての関係を保ったまま結婚して生活をしている方々もいらっしゃると思います。ただ全ての結婚関係にある人がそうかと言うと、僕はそうではないと思います。やっぱり妥協で結婚し続けている人たちも一定数いると思うからです。

そんな話をされるうちに、八谷も「結婚ならアリかもしれない」と考え始めます。ただ間違いなく、そこに恋愛感情はない。そういう関係としての、妥協としての結婚生活を受け入れるか否かという話です。

ここまでは、僕自身の恋愛経験も重なったのもありますが、すごくよかったです。なんとか二人の関係を保てないかともがく山音と、説得されかける八谷。ただ一番の問題はこの後。この話の終着点への向かい方でした。

「反復」と「差異」の往復ビンタ

八谷が山音の提案に乗ろうかとしたとき、二人がかつて告白した席に、若い男女二人組が着席します。大学生ぐらいに見えた二人は、席を譲り合い、二人の好きなアーティストなんかの話を始めます。そして靴はお揃いの白のジャックパーセル

そうなんです。この二人のやりとり、かつての山音と八谷がしていたものの「反復」なんです。全く同じ席、全く同じ話(アーティストなどは最新版ですが)、全く同じ靴、唯一異なる、「差異」は、その席に座っている二人です。これでもかと言うほどに、「反復」と「差異」の大量投入でした。その大量投入を、山音と八谷は目の前で見せられるわけです。

これが、ここだけが、個人的には余分でした。確かに、妥協の結婚に流れそうになった二人を食い止める「何か」が必要になります。ただそこで、露骨にその「何か」を映画として提示してくるわけですよ。

「ほら、そんな結婚しちゃっていいの?」と言わんばかりに観客と山音と八谷を煽ってくるわけです。まるで道案内をしてくれるような、言うなれば感情のガイドラインですよ。

「そんなもの見せるな!」と僕は思ってしまいました。なぜなら最初に言ったように、菅田将暉有村架純の演技は素晴らしかったからです。そして若い二人が現れるまでにも、山音と八谷のこれまでの関係性の振り返りは十分にできていたからです。スマホで写真見ながら、気づいたら泣いてしまう。二人のこれまでを振り返るのは、それだけで十分ではないか、と僕は感じてしまいした。

その結果、この映画のラストシーンの山場にも関わらず、僕は苦笑いしてこのシーンを見ることになってしまいました。そしてそれは、この映画全体の印象として、「ハマらなかったな…」と思わせるものでもありました。

ただ、別れが決まってから別居するまでの生活は素晴らしかったです。別れた方が、良い関係性になれた、と言う皮肉的な展開になっています。もちろん言い分ばかりを切り取って見せているので、そういう風に見られるってだけなんでしょうけどね。

最後に

というわけで『花束みたいな恋をした』の個人的な感想でした。一番刺さるであろう部分に刺さらなかったこの映画は、なんというか惜しいという感じでした。映画のセリフを引用するならば「ここまでの過程は美しかった。しかしあと一歩届かなかった。」でしょうか。

僕としてはこの映画を通して、自分の過去の恋愛を振り返るいいきっかけになったと思います。彼女目線から見た男性の振る舞い=かつての僕のエゴイスティックさが、嫌と言うほどわかりました。またここから、いい恋愛できるように頑張っていきます。

有村架純菅田将暉の演技は素晴らしいので、ぜひご覧になってない方はご覧になってください。