生きるのが下手くそなエッセイ

人生に悩みまくりの僕カシコが、エッセイやコラムを気が向いたときに書いていきます

人生にはハンドルがあるんだということ

車のハンドルの画像皮肉なもので、文章を継続的に書かなくなってから、このブログは人の目に止まる機会が多くなったようだ。最後に記事を更新したのが5月なので、約半年の間、まとまった文章を書いていなかったことになる。その間の話を少し書きたい。

文章を書かなくなった理由は単純で、書けなくなったからだ。と言っても、気持ちの問題とかではなく、物理的に時間が足りなくなったからという、さも社会人らしい理由で。4月から僕は、かつてから趣味で行っていた映像に本腰を入れ始めた。要するに、しっかりと商売(副業)にしていく、継続的に制作を行なっていくことにしたということだ。その結果、仕事が終わってからは毎日映像を作っていて、たまの休みも諸々のやることに追われ、文章を書くということに時間は避けなかった。

そんな中、なぜ今僕がPCに向かっているのか。それは、自分を少し振り返る時間を設けようとしているからだ。4月から約半年間、僕は間違いなく頑張った。そう言えるだけのことをしてきたし、実際に映像という形でも残っている。でもここ最近ふとよぎるような思いがあった。なんでこんなに頑張っているのだっけ、と。

もちろん今でも映像は好きだし、ああいう作品を作りたいとか、こういう仕事をしてみたいというモチベーションはある。ただ心と体が一致しないことが多くなった。具体的にいうと、制作に取り掛かるまでに時間がかかるようになってきたのだ。今まであれば、作業場についたら、よしやるぞ、という感じですぐにPCを開いて作業をすることができた。でも最近は、少し様子が違う。作業場についても、だらだらとYoutubeを見て、やっとのことで作業を開始する。始まったと思ったらすぐにSNSを見てしまい、作業に戻るのにもこれまた時間がかかる。

個人的にもっと顕著だなと思ったのが、仮眠の時間だった。僕は作業を開始すると1時間程度で一度ものすごい眠気に誘われる体質(?)だ。そんな時は眠気に体を任せ、アラームもつけずに仮眠をとることにしている。なかなかすごいことだと思うのだが、この仮眠に関しては約15分で自然と目が覚めるようになっている。しかし、その仮眠の時間がここ最近伸びていることに気づいた。正確には測っていないけれど、30分以上になることが多く、1時間近く寝ていることもあるようだ。昨日なんか3時間寝ていて、1日が終わっていた。恐ろしい。

そんな感じでどうも体が何かしらおかしな状態にあるような気がして、ふとこれまでを振り返ってみたところ、4月以降、まともに休んでいないことに気がついた。いやもちろん休んでいるし、友達と会うし、ゴロゴロするし、旅行にも行くのだが、制作をしない期間というのを作れていなかったのだ。週に一回は制作を休むようにしているのだが、それも最近はできたりできなかったりしている。逆に言えば2日以上、制作についての行為をしなかったことがほぼなかった。そのせいか、この間久しぶりに2日間映像を作らなかった週末は、とてもとっても楽しかった。

こんな生活をしていると、映像制作がない生活が考えられなくなってくる。最近特に顕著なのが、週に1回の休みの日に、「することがない」という虚無感に襲われることが出てきたこと。今まであればアニメや漫画、映画、ゲームなどなど、映像制作でできなかった趣味を行う時間になっていたのだけれど、それらを一気に長時間消費することもできなくなってしまっていた。漫画は一冊も読めないし、アニメは3話ぐらいが一気見の限界、ゲームに関しては電源をつけることすら億劫になっている。

極め付けは、なんと休みの日に映像を作ろうとすることだ。やることもないし、なんか制作するか、というテンションで意味もなく、映像を制作することが出てきてしまった。さすがに、これってちょっとまずいんじゃないかと思い始めた。

ワーカホリック。そんな言葉が僕の頭をよぎる様になった。そもそも僕は働きたくなくて、極力残業がしたくなくて今の職場にいるし、なんなら将来、海外での生活を目指している。でも思考はそうでも、現実、僕の気持ちはそちらに向いていない。気づいたら常に働こうとしている。

別に僕はハードワークを否定しているわけじゃない。働きたい人は働いて、そうでない人はそうでない生活を送れればいいなと考えているだけだ。ただし、僕はハードワークをしたくないと考えているのにハードワークをしかけているので、そこは誠に遺憾なのだが。

その結果僕に起こっている大きな問題が、私生活の消滅だ。かっこいい言い方をしたけれど、要するにプライベートでの生活が圧倒的におざなりになっているということ。丁寧な暮らしとは真逆、というか暮らしが消失しかけている。家事とかは行なっているけど、それ以外の人生の楽しみを享受する時間や体力、好奇心や余裕がなくなっている。かつて、いや現在の僕も嫌っている、プライベートを、人生の大きなフリータイムを楽しまない人間に、僕自身がなりかけているのではないかと、ここ最近強い不安を覚えた。

そのために書いた。まずは気持ちを落ち着けるため。僕を僕たらしめる大きなものである文章を書くため。自分の人生をちゃんと生きるため。僕の好きな映画でこんなようなセリフがある。「人生のハンドルは自分が握らなくちゃ」。僕は僕自身の人生のハンドルを握っているようで、実のところふかしすぎたアクセルに引っ張られていたのかもしれない。

とりあえず少しの間、映像制作を休もうと思う。自分が本当に生きたかった人生がどんなものだったのか、向かう先はどのようになってほしいのか。そんな当たり前だけど大切なことをちゃんと見るために、今は少し立ち止まっていたい。