11年目の3.11
3.11について昨年もエッセイを書いた。
あれから1年がたった。
日付を跨いだタイミングで、今日が3.11だということに気づいた。実は昨年の10月に仙台に行った。目的は友達に会うためだったのだけれど、その中で震災関係の施設にも行ってきた。
11年目。とてつもなく長い時間をかけて、やっと赴いた。10年目まで何もしなかったという事実から、シンプルに訪れることは決めていた。
多くは書かない。行ってみなければわからないことの方が圧倒的に多いからだ。こんな時に、そんな月並みな表現しか出てこない自分の頭を恨めしくも思う。
ただ、伝えたい。被災地には名前があることを。そこに住んでいた人がいたことを。そこに様々なものや空間や空気があったことを。
そして僕たちがやるべきことは、嘆き悲しむことだけではないことを。備える。せめてもの、僕たちにできること。地震がきっかけで東北や兵庫で起きたことを学び、次がある時に少しでもより多くの人が助かるように。
次はある。間違いなくある。それはいつか、どこかもわからない。でもある。だから備える。「いざ」が来てしまうから。その思いを、姿勢を、少しでも伝え広げるということも、11年目の僕の答えだ。