生きるのが下手くそなエッセイ

人生に悩みまくりの僕カシコが、エッセイやコラムを気が向いたときに書いていきます

ものづくりの先輩から教えられた、2つのヒント

先日趣味の映像制作でお金を稼ぐ難しさを書いた。

これと同時に、そもそも映像制作のモチベーションが下がってきていたことにも悩んでいたので、数ヶ月ぶりにあった知り合いの人に相談してみた。その人は音楽の制作を続けていて、僕は元々その人が所属するグループ(正確には違うかも?)のファンだった。ひょんなことから知り合い、顔を認識してもらえるような関係だ。

公園のベンチに座っているその人に聞いてみた。

「仕事しながらのものづくりって大変じゃないですか?モチベどうしてます?」
「んー、やっぱやってる人が(近くに)いるからなぁ。」

シンプルな回答だった。そのまま、互いの制作なんかについて、軽くおしゃべりをした。

このおしゃべりの中で、二つのことに気づいた。一つは、個人で制作をやるしんどさ。その人はさっきもいったように、周りに音楽制作をしている人が大勢いる。だから、基本的に音楽制作をみんながしている環境、みたいな感じになっているようだった。そんな中で自分だけがサボることはできない、だからやんなきゃ、という風にして、制作を進めているところがあるらしい。

逆に僕は圧倒的に個人で制作を行っている。知り合いにデザインや映像を作れる人がいるから、チェックはしてもらうものの、制作の進捗などは自分で管理するしかない。そうなるといくらでもサボれてしまうし、なんなら締め切りだって延ばしてしまえる。そもそも締め切りなんて概念が無いとさえも言える。

この部分の自己管理が得意な人はいないけれど、僕は圧倒的に苦手だ。その結果として、制作のモチベーションが下がってしまった部分もあるだろう。個人制作が苦手だということは前からわかっていたのに、何も対策をしていない現状って、結構大きな問題を抱えたままなのかもしれないと改めて思った。ここに関しては、今後noteなどを活用しながら、解消できるようにしていきたい。

もう一つ学んだこと。それは僕が最近、ちゃんと遊んでいないことだった。もちろん字義通りの「遊ぶ」ということはしている。ゲームをやったり、友達とご飯を食べたり、映画を見たり。でももっと大事な遊びをしていないんだと気づいた。

そもそも僕が趣味をする理由は、楽しいからだ。この楽しむというのは、楽をするとか、ゆったりと行うという意味じゃない。物事を楽しむということは、全力で取り組んで、全力で面白がったり、悔しがったりすることだと思う。例えば学生のときの部活や、文化祭を思い出してみてほしい。今思えば、学校の中だけの小さな話かもしれない。でも、あんなに楽しくて記憶に残るようなものって、これから先の人生でどれぐらい出会えるだろう?それはきっと、理由もなく、本気で、全力で取り組んだからじゃないかと僕は思う。

そのスタンスを、最近の僕は完全に忘れていた。好きな時に、適当なクオリティで映像を作って、完成としていた。確かに身体はすごく楽だった。でもこれって、結局映像を作ることを楽しめていなかったんじゃないだろうか?

適当なクオリティで仕上げた映像は、完成度も低い。そうなると達成感も小さくなってしまい、次の制作へのモチベーションが低くなる。モチベが低いまま制作をはじめると、ダラダラとサボりながらの制作になってしまう。サボりながらの制作は、楽しくないから、さらにサボろうとしてしまう。そしてとりあえず完成させようとして、また適当なクオリティで映像を仕上げてしまう。これ何が楽しいねん。

その知り合いの人は違った。話してる中で、具体的にこの話になったわけではないけれど、話の雰囲気や流れから感じられた。その人が音楽制作に全力で取り組んでいるスタンスが。そして、生み出した音楽や、周りとのセッションを全力で楽しんでいた。間違いないく、音楽を通して全力で遊んでいた。そんな姿を見て、自分自身がなんで映像を作っているかを、もう一度考え直さなきゃいけないと感じた。

その人は音楽、僕は映像だけれど、ものづくりをしているという点は共通している。だからこそ、楽しい部分も辛い部分も大変な部分も嬉しい部分も、全部をひっくるめてものづくりに取り組んで、全部を楽しんでやらないともったいないと感じた。話したのは数分間だけれど、もらえたヒントはとても大きなものだった。そんな先輩の背中を追いかけながら、またここから僕なりのものづくりに取り組んでいきたいと、強く思った。