生きるのが下手くそなエッセイ

人生に悩みまくりの僕カシコが、エッセイやコラムを気が向いたときに書いていきます

愚痴ることって悪いことだろうか

愚痴。自分が感じた嫌なことや辛いことを吐き出すこと。
僕自身、結構愚痴ることが多い。
職場でのちょっとしたことや、プライベートでの些細なこと。
でも、愚痴をいうぐらいならそんな環境から抜け出しなよとか、愚痴る暇があるなら、その問題自体に対処しなよ、っていう声も聞こえてくる。
でも僕はあえて言いたい。

みんなガンガン愚痴ってこうぜ

大前提として、僕は一箇所に留まって我慢して生きた方が良い!という考え方には大反対だ。
自分が苦しくなる環境なら、そこから離れる方法を考えた方が良いと思うし、苦手な相手がいるなら遠ざけたりする方法を考える方が良いと思っている。

ただし、それと愚痴を言うのは全くの別問題だ。
そもそも愚痴をなんで言いたくなるのか。
それはデトックスだからだと僕は思う。

自分の中に毎日の生活でたまったモヤモヤを吐き出す。
自分の中に黒いものがたまらないように、自分をリセットするためのものだと僕は思う。
身体で例えるなら、心の排泄だ。溜めるのはよくない。

たださっき挙げたような「愚痴るぐらいなら行動しろ」は、このデトックスを否定してはしまわないだろうか。
自分が明日もなんとか生きるために吐き出そうとしたものを、「愚痴るぐらいなら〜」という目で見られてしまったら、吐き出しにくくなりはしないだろうか。

吐き出そうとして吐き出せなかった愚痴は、心の中で黒いモヤモヤになる。
最初は小さなものかもしれないけど、それは毎日溜まっていく。
溜まったものはいつか収まりきらなくなり、愚痴よりも、もっと醜い形で吐き出されることになってしまう。

もちろん愚痴なんか吐かなくてもいい生活をするのが一番だし、あまりにも大量の愚痴が生まれるような状況なら、その状況を改善した方がいいと思う。
ただ、こちらの意思に関係なく心のモヤモヤは生まれてしまうし、愚痴は吐き出したくなってしまう。

毎日の生活はそれほど残酷だし、それに耐えられるような人間ばかりじゃない。
人間は弱い。少なくとも僕は弱い。
だからその弱さと、なんとか向き合うための一つの方法が愚痴なんだと僕は思う。

強い人たちから見たら、ダサいことかもしれない。かっこ悪いことかもしれない。時間の無駄なのかもしれない。
でも、それでも愚痴を吐いていこう。
自分が弱いと認めた上で、それでも人生を生きていけるようにしよう。

大丈夫。あなたはちゃんと生きているよ。