生きるのが下手くそなエッセイ

人生に悩みまくりの僕カシコが、エッセイやコラムを気が向いたときに書いていきます

悲しいことが多すぎるから、僕は

少し重めな文章かもしれませんが、大切だと思ったので書きました

生きていていい。そんな単純で、シンプルで、一番当たり前のことが、この国では成り立っていない気がする。何者かにならなければならない。何かを成し遂げなければならない。何か役に立たなければならない。そんな実態があるかないかもわからないような強迫観念に、この社会は包まれていると思う。

「生きてるだけで、丸儲け」

この考えをどれだけの人が持っているのだろう。何もしなくても、何をしていても変わりはしない。あなたという存在が生きているだけで素晴らしいのだということを、意味や役割を超えたものなんだということをどれだけの人がちゃんとわかっているのだろう。

そんなのは負けた人の考えだ。そんな声が聞こえることもある。努力できなかった人の考え、敗者の論理、弱者の言い訳。でも僕はそんなことを言う人たちを見て思う。あなたたちは辛くないのか?と。人間が生き続ける一生の間で、一度も負け続けることなく、勝ちだけを重ねていける人がどれだけいるだろうか。多分本当に数えられる人数しかいないと思う。そんな小さな席の取り合いを死ぬまで続けていくことが、本当に辛くないのだろうか。

そして多くの人、ほとんどの人がその席を取ることはできないだろう。じゃあその席を取ることができなかったとき、あなたの人生はどうなるの?勝ちにしか意味を見出さなかったあなたは、負けてしまった自分の人生に意味を見出せるの?突然何者でもなくなったあなた自身を、あなたは受け入れてあげることができる?この答えにうんと頷ける人が、とても少ないんじゃないだろうか。それは、日本の自死の多さにも繋がっていると思う。

僕はもっと自身の生を肯定できるような人が増えてほしい。もっといろんな人が、自分自身をそのまま受け入れて生きていけるようになってほしい。それじゃあ、危機感が足りずに成長できないという声もあるかもしれない。でもあなたが求めている危機感は、人としての危機感ではなく、仕事人としての危機感のはずだ。僕は努力する人生を否定しているんじゃない。そのもう一歩手前の部分で、絶対的に自分の存在を、生を肯定してほしいだけだ。

もう一度、自分自身を見つめ直してほしい。あなたが生きていく上で、最も大切にすべきことはなんなのか、自分という存在がどういうものなのか。そんな最も単純で、最も大切なことを考えてほしいから、今日も僕は言葉にしていく。