生きるのが下手くそなエッセイ

人生に悩みまくりの僕カシコが、エッセイやコラムを気が向いたときに書いていきます

「あぁー、悩みたくねぇなあ!」

僕の夢は、悩まない人生だ。毎朝快適に起きて、美味しいご飯を食べ、人間関係やその他の大きな問題のない職場に行く。適度に仕事をして、職場の人と話して、定時に帰る。帰ってきてからご飯を食べ、録画した番組やYoutubeを見たり、ゲームをして、時間になったら寝る。そしてまた朝が来る。僕が昔から抱いている夢。何も悩むことがなく、淡々と目の前のことを行って、好きなことをできる生活。僕はずっとそれが欲しい。

でもこんなに具体的でも、夢は簡単に手には入らなかった。僕が達成したい生活にたどり着くまでに、いくつものやりたくないことをしなければならなかったから。他人から見たら、そんなもの我慢して夢に向かえばいいじゃん、と言われるけど、僕からしたら全然「そんなもの」じゃないのだ。僕にとってはまさに「大事」なのだ。だからそんな「大事」と出会う度に、僕はどうすれば自分の夢に近づけるかを悩んできた。

自分でも嫌になる。悩みたくない生活のために、悩み続けなければいけない人生を送っている。長い間、答えが出るかどうかもわからない問いをひたすら考え続ける。辛い、しんどい、苦しい、だから僕は悩むのを辞めたいのだ。ただただ、この「悩む」という行為から遠ざかりたいだけなのだ。でも気付いたら、また悩んでしまう。なんでやねん、マジで。

そんなとき、僕の友達が言った。正確には親友のレベルな気もするが、こっぱずかしくて言えないので、あえて友達と呼ぼう。その友達が言ったのだ。

悩んでなきゃカシコじゃないよ(笑)

笑い話として言っただけだ。そもそも悩み相談をした返答として、全然解決にもなっていない返答だ。でも、何かが府に落ちる気がした。僕はこれまで悩みたくないと思いながら、ずっと悩み続けてきた。そんな悩む僕自身を、僕は嫌いだった。でも同時に、どうあがいてもそれは僕でしかないのだ。悩みたくないという目標に向かって、ひたすら悩むことで近づこうとする。そんな矛盾した在り物が、僕なんだとなんかわかってしまった。

悩んだって無駄なことはわかってる。僕の頭の中で繰り返された思考実験の大部分が、活かされることなく消えていく。それでも僕は悩まずにはいられない。だってそれが僕が考える、夢に近づく行為になってしまっているのだから。だって、そんな行為さえ、僕の一部を形作ってしまうのだから。だから僕は今日も悩む。答えの出ない問いに。誰も知り得ない明日に。あまりに広大な人生に。そのときに口に出る言葉は、いつも決まっている。

「あぁー、悩みたくねぇなあ!」