生きるのが下手くそなエッセイ

人生に悩みまくりの僕カシコが、エッセイやコラムを気が向いたときに書いていきます

『(500日)のサマー』と元カノと僕

僕は『(500日)のサマー』という映画が大好きだ。
でも僕はこの映画を見たくない
それは僕がこの映画を見るのは、僕が恋愛に傷ついたときと決まっているからだ。
そして、僕は今日またこの映画を見てしまった。

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『(500日)のサマー』とは

主人公トムが、転職してきた女性サマーに一目惚れするところから物語が始まる。サマーに彼氏はいないが、それはサマーが恋など信じていないから。恋人なんていうラベリングは必要ない。ただ互いに楽しければいい。それでもいいとサマーとの関係を進めるトムだったが、ある日、彼はサマーから関係を解消される。サマーに夢中だったトムは、なんとか彼女とよりを戻そうとするが、彼女は知らぬ間に他の男と婚約していた。

ざっくりいうとこんな感じの物語で、トムがサマーと出会ってから、彼女と離れて立ち直るまでの過程を描いている。

恋愛で傷つくと見たくなるワケ

僕がこの映画を恋愛で傷ついた時に見る理由は、この主人公トムが僕でしかないから。彼はサマーにふられた日、トムは家で無表情でひたすら皿を割っている。僕はこのシーンで察した。

「あ、こいつ俺と同じだわ」

実際にフラれて皿を割ったことはないが、僕はめちゃくちゃモノや人に当たる。何か目的があるわけじゃない、ただ何かに怒りをぶつけたいだけだ。落ち込み方が完全に僕と一緒だった。

逆に恋愛でテンション上がっている時は、トムはめちゃめちゃ調子いい奴になる。出勤中に音楽聞いて、踊り出すぐらいに。そして映画ではそのままミュージカルが始まる。

「まじでこいつ俺と同じだわ」


僕はテンションが上がると、音楽にのせて歩きながら小躍りするタイプである。なんなら、そのために一駅歩くぐらいだ。周りに一緒に踊ってくれるような人がいないだけで、文字通り僕とトムは気分の上がり方やその表現の仕方が完全に一緒だった。

こんな感じで僕が映画の主人公になったような男トムは、物語を通して、恋愛にウキウキし、沈み、そこからもう1度立ち上がる。僕はそんな彼の姿を見て、自分を恋愛の傷から立ち直らせてきた。

僕がこれまでサマーやトムに会いに行ったとき

じゃあこれまでどんな時にこの作品を見てきたかというと、まずは元カノにフラれた時だ。3年前にフラれたときに、僕は貪るように恋愛映画を見た。その中にこの作品があった。感動した。こんなに素晴らしい映画はないと。この映画のおかげで僕は少しばかり失恋から立ち直ることができた。

次に見たのは、元カノに彼氏ができたかも、という噂を友人伝いに聞いたときだ。別れて2年ぐらいの時だろうが、全然失恋を引きずっていた僕は、噂にも関わらず動揺した。そもそもそんなことは当たり前だったのに、僕がメンヘラ化していたこともあって、その噂は大きな衝撃となった。そこで自分を落ち着かせるために、トムに会いに行った。結局その噂は、真偽がわからずじまいだったが、当時自分がするべきことに集中することができた。ありがとう、トム。

あとは1年前ぐらいに、彼女と友人たちで会うことになったときに見た。当時僕は失恋からほぼほぼ立ち直っていたものの、数年ぶりに会う元カノにドキドキしてしまい、心を落ち着かせなければと考え、サマーたちを尋ねた。結果として、元カノはドタキャンして会うことがなかったものの、どう振舞えばいいかの指針をくれた。サマーに感謝を。

こんな感じで、元カノとオンラインであろうがオフラインであろうが、接触する機会がある度に僕はサマーとトムとの500日を体験した。その度に彼らに一喜一憂し、自分に勇気を持たせた。

どうして今日見たのか

じゃあ今日、なぜまたこの作品を見たのか。単刀直入に言おう。

彼女に彼氏がいると本人から告げられたからだ。

そもそもこの流れになったのは、僕が失恋から立ち直り、彼女と食事に行こうと思ったことに始まる。僕は付き合った元恋人と上手く関係を築けないタイプだったが、このままではいけないだろうと思って、思い切って連絡した。コロナの関係で、こんな時期まで伸びてしまったが、彼女も承諾してくれており、改めてスケジュールを合わせようということになっていた。だがそんなとき、彼女から一通のラインが届いた。

「彼氏がダメだっていうから行けないや、ごめんね」

動揺した。彼女に彼氏がいたということも知らなかったのもあったし、何より、その事実に動揺するほどには、僕はまだ彼女のことが好きだったんだと。僕は泣きそうになりながら、「気が回らずごめんね」とだけ返した。「またね」なんて言葉はどう考えても言えなかった。

その夜僕は気がつくと、酒を煽りながら、『500日のサマー』のDVDを手に取っていた。途中で寝落ちしながらも、今朝までかかって全編を見た。

『500日のサマー』を見て、今の僕が感じたこと

昨日今日と、この映画を見て、僕は今までにない感覚を抱いた。それは、僕自身が失恋したあの頃から止まったままだったということ。僕は彼女に彼氏がいると知ったとき、とっさにおめでとうと思えなかった。口ではいくらでも「君の幸せを願う」とほざいても、心の中では全然、これっぽっちも願っていなかった。失恋したあの頃から、僕の心の中は大して大きな変化などしていなかったという事実に改めて向き合うことになった。それと同時にこんなことをしていてどうするんだとも感じた。元カノに引きずられたまま、この3年間をうだうだと過ごしたことに嫌気が差した。このままじゃいけない、何かしなければ。唐突な焦燥感が僕を襲った。まずはこの気持ちをなにかで吐き出そう、そう思った僕は今この文章を打っている。

(500日)の元カノへ

こんな話は誰にもできないから、誰でもない僕がいるここで君に別れを告げたいと思う。正直君に彼氏がいると聞いたとき、いろんな思いが僕の中を駆け巡った。ただそこに嬉しいという気持ちは正直なかった。君と別れるときに、「幸せになりなよ」なんて伝えたけど、それを言った当の本人がそんなことこれっぽっちも望んでいなかった。僕は君のことが好きだったし、今も好きだ。ヨリを戻そうと言われれば、数日迷ったふりをして、ヨリを戻すと思う。それぐらい僕は君に夢中だったし、今もそうだ。でも、このままじゃいけない。君自身の幸せに1mmも繋がらないし、そもそも僕自身が不幸でしかない。どこまでも自分本位で申し訳ないと思う。でも、僕は君からいいかげん離れなきゃいけないんだ。僕は、心から君に「幸せを願ってる」と言いたい。そのためにはまず、僕が君のことを今でも好きだということを認めることから始めようと思う。そしていつか、心から君の幸せを願い、祝えるように、ここから新しい1日目を始めたい。自分をこの日から変えていきたい、いかなきゃいけない。今までありがとう。本当にありがとう。君と過ごした日々や、君を想った日々は本当に僕の人生の宝物だ。でもそれはもう過去の話だ。僕は今と未来に向き合おうと思う。さようなら。

新しい1日目へ

本当に偶然なんだが、なんと僕は今日誕生日だ。そんな日にまさかこんなことになろうとは、思いもしなかった。でももしかしたらちょうどいいのかもしれない、出来過ぎな気はするけど。『(500日)のサマー』は、本当に素晴らしい映画だ。僕が一番好きな映画は?と聞かれたら迷わず、この映画と即答するだろう。でもそれを見る機会には当分の間、巡り合いたくはない。そもそも現状でも十分にメンヘラチックで気持ちが悪いのに、これ以上は...さすがに遠慮したい。トムやサマーたちは一度棚にしまっておこう。新しい1日目が今日から踏み出せるように、まずはこの文章を書きあげることから始めたいと思う。


ハッピーバースデイ、僕。