生きるのが下手くそなエッセイ

人生に悩みまくりの僕カシコが、エッセイやコラムを気が向いたときに書いていきます

夢は語れるときに語っておけ

僕の将来の夢の一つに、海外にワーキングホリデーに行くというものがある。なんてことはない、この国以外で生活をしてみたいと思っただけだ。ただこんな世の中になってしまったのもあって、その夢は叶わない可能性が出てきた。うーん、困った。

周りの人や、それこそ親にも相談する。どうしたもんかと。親は言う、「行けない時のことは考えとけよ」と。行けない時か…。全く想像がつかない。正直、今の僕の頭の中はお花畑だ。海外に1年か2年滞在して、一度日本に帰ってくる。そして、どこかに就職するか、それとももう一度海外へ飛び出すか。

全てが海外に行けることが前提の話だ。じゃあ行けなかったら?その疑問はあえて考えていない。とりあえず一つだけ確かなのは、職は変えなきゃならないこと。その理由はとても簡単で、僕が非正規雇用だからだ。何年間も雇われるような身分ではない。ただ、どんな職に転職したいのか、そもそも転職できるのかなんてことも考えなきゃならない。

正直めんどくさい。未来の可能性のパターンを、今のうちにできる限り考えて、どれが来てもいいように備えるなんてことは。なぜなら、僕がこれまで生きてきた人生の中で、アクシデントは付き物だと知っているから。アクシデントというとネガティブに聞こえるかもしれないけれど、これにはポジティブな意味も含まれている。

自分が思いもよらなかった出来事が起こって、その結果、人生が変な方向へと進んでいく。それはいいときもあるし、もちろん悪い時もあるだろう。でも大事なのは、そのたどり着いた先で、より良い人生を送ることだと僕の哲学では決まっている。

この哲学のせいか、おかげか、ここ数年、僕は自分の未来をしっかりと考えたことがない。考えてもムダだと思ってしまうから。その代わりに、その時々を楽しんで、「楽しい」という感覚や、心の動きを体験しておく。そうすれば、何かあったときでも、常に自分の楽しい方向へと向かうことができると思っているから。

こんなことをしていると、「甘い」「現実を見ろ」という声もする。確かに僕は今、現実を見れていないと思う。見なきゃいけない時がくるのも、なんとなくわかってる。でも、現実なんてある日突然見なきゃいけなくなるんじゃないだろうか。いやでも向こうからやってくるんじゃないだろうか。そうなってしまった時に、僕はまだ夢を語ることができるのだろうか。もしかしたら、夢を語れる期間って限られているんじゃないだろうか。

だから僕は夢を語る。夢を語れなくなるその日まで、夢を語る。誰かに心配されようが、馬鹿にされようが語り続ける。夢は語れるうちに語っておくものだと思うから。語れなくなってから、語っておけばよかったなんて後悔はしたくないから。

だから僕は夢を語る。この今を「楽しい」にするために。僕は海外に行く。海外に行って、いろんな経験をする。自分の人生の枠を広げる。そのあとのことはよくわからないけど、楽しい人生を過ごしていく。これが僕の夢。