生きるのが下手くそなエッセイ

人生に悩みまくりの僕カシコが、エッセイやコラムを気が向いたときに書いていきます

「かつて天才だった俺たちへ」

あなたの将来の夢はなんだったろう。お医者さん?野球選手?歌手?役者?モデル?社長?数え切れないほどの夢の中から、選び出したあなたの夢はとても輝いていたに違いない。ではもう一つ聞かせてほしい。

あなたはいつ将来の夢を諦めただろうか。小学校?中学校?友達と仲違いしたとき?親と言い合ったとき?進路の先生に何かを言われたとき?入試のとき?就職活動のとき?その瞬間は思い出したくもないような思い出ですか?それとも思い出せないほど遥か彼方に置いてきましたか?

そんなあなたに、いや俺たちに聞いて欲しい歌がある。
Creepy Nutsの新曲「かつて天才だった俺たちへ」だ。


この曲はこんな歌詞で始まる。(Youtubeのコメントから引用)

苦手だとか怖いとか 気付かなければ
俺だってボールと友達になれた
頭が悪いとか 思わなけりゃ
きっとフェルマーの定理すら解けた
すれ違ったマサヤに笑われなけりゃ
ずっとコマ付きのチャリを漕いでた
力が弱いとか 鈍臭いとか
知らなきゃ俺が地球を守ってた hey

かつては誰もが天才だった。夢は無限に広がったし、未来はどこへでも伸びていった。俺たちはどんな人間にもなれたし、どんな存在にもなれた。

でもいつだっただろう。そんなことはない、と悟った日は。夢が縮み始めてしまった瞬間は。あるときから未来はとても狭く感じられるようになった。

生まれてこの方 一体いくつ
分岐点を見過ごしてきたんだろうか
墓場に入るまで あと一体いくつ
可能性の芽を摘んでしまうんだろうか

かつての天才だった日々を振り返っては憂いて、嘆いた。こんなはずじゃなかった。俺たちの人生はもっと輝いていたはずだった。どこで間違えたんだろう。いつ変わってしまったんだろう。あんなに眩しかったはずの未来が、こんなにも煤けたものだなんて、知りたくはなかった。

かつて天才だった俺たちへ
神童だったあなたへ
似たような形に整えられて見る影もない

誰とも違う唯一無二の存在だったのに、今や周りには似たような人ばっかり。俺たちは社会や組織の歯車として、今日も滞りなく世界を回している。今の生活が大嫌いなわけじゃない。でも大好きというわけでもない。俺たちが本当に欲しかった生活は、あの分岐点でとりこぼしてしまったから。永遠に手に入らなくなってしまったから。

でも、それは本当?

今この瞬間にも何かを諦めてはいないか?自分がこうなったのは社会や環境のせいだけなのか?自分で自分を裏切った瞬間はなかったか?自分で自分を信じなくなった日はなかったか?そして今、もう一度自分を裏切ろうとしてはいないか?

俺はキャンパス かなり薄汚れた
だけどワンチャンス まだ余白はあるさ
ちゃっかり目立ったり 劣ったり
この隔たりよ永遠(とわ)に

まだだ。人生は続いている。かつて輝いた夢が頭をよぎる。心のモヤモヤが大きくなる。どこからか声も聞こえて来る。

「なんで今更?過去の栄光にしがみついて、届かないかもしれない夢に憧れて。この人生を歩んできたのは自分なのに、今さら向き合おうって?もう手遅れだろうに。昔のことばっか考えてダセえわ。」

ダサくて何が悪い!!!!

そうだよ!俺たちはダサい。猛烈にダサい!でも、ダサいは人生を投げ出す理由になんかならない。ダサいと思う暇があるなら、人生を進め!今が遅いなんて誰が決めた。「今」はこれからの人生で最速なんだ!!

未だかつて ないほど入り組んだway
悩めるだけ悩め 時が来たらかませ
風任せ どっちみち茨のway
俺らは大器晩成 時が来たらかませ

自分の人生に、この「今」に向き合え。かつて天才だった俺たちが、できないわけはない!確かに他の天才たちよりも、遠回りしたし、時間もかかった。でもその間にいろんなことを学んだし、経験もした。それらは全部俺たちの血肉になる。その血肉はエネルギーとなって、大きなうねりを生み出す。焦らなくていい。でもチャンスが来たら逃すな。

「時が来たらかませ」

自分のダサさと向き合った上で、この先の人生を輝かせる決意をする。そんなCreepy Nutsの姿勢は、これを読んでいる人にも伝わると思う。何事にも「遅い」ということはない。「遅い」と思って歩みを止めた瞬間から遅くなるだけだ。自分がかつて手放した夢を、もう一度この手につかむために、「かつて天才だった俺たち」は今日も必死に「今」を生きるのだ。

かつて天才だった俺たちへ(we!)
神童だったあなたへ(you!)
まだ見ぬ明日へ羽ばたけ
いくぞ 1 2 3 4 5