生きるのが下手くそなエッセイ

人生に悩みまくりの僕カシコが、エッセイやコラムを気が向いたときに書いていきます

ぐちゃぐちゃの料理でもいいじゃない

久々に料理をした。最近は、冷凍食品や、出来合いの弁当ばかり食べていた。こんな食生活では、今後ダメになるということをこの夏に痛いほど思い知ったことと、最近料理漫画にハマっていたことが理由だった。とはいえど久々の料理ということもあり、ベトナム料理のフォーに挑戦してみた。

ネットでレシピを探し、必要な材料を仕事帰りに揃える。いざ調理を開始すると、途端に慌ただしくなった。料理前にレシピを確認しているときには、てきぱきと動く自分がいたはずなのに、いざ始まってみるとそんなのは幻想だったと思い知る。

セットし忘れたタイマー、用意し忘れた皿、置き場に困ってしまう食材たち。そんなものがごちゃごちゃとキッチンに溢れかえっているのをあざけわらうかのように、鍋のお湯は沸騰を始めてしまう。かろうじてフォーを茹で始めたものの、切り終わっていない食材たちが目線に入り、なんとか並行させながら調理を進める。あ、ざるも出さないと。

こんな感じで終始ドタバタと調理が進んでいった。火を使う工程が終わり、最後の盛り付けになったとき、そこに現れたのは切りすぎたパクチーの山だった。インスタに載せるために写真を撮るものの、ほとんどがパクチーに埋もれており、フォーだということは画像からだけではわからないほどだった。緑の山という料理名の方がよっぽど正しい。

さて、味はどうだろう。ずずっ。ん、けっこういけるぞ。始めて買ったナンプラーが、スープに良い深みを加えている。山盛りのパクチーは存分に存在感を発揮し、添えられたささみなんか目じゃないほどだ。肝心の麺は…ちょっと伸びてる?ただ、そもそもフォーなんてあまり食べないので、柔らかさやコシの基準がわからないことに、このとき気づいた。なので普通に食べられたので、よしとする。

お腹が空いていたこともあり、無我夢中で食べ進める。たまにレモン汁や、黒胡椒で味変をして、フォーを最後まで楽しめるようにした。鍋いっぱいに作りすぎてしまったスープは大変美味で、おかわりして飲み干してしまうほどだった。ごちそうさま。手を合わせ、ポツリと呟いた。

昔から料理をするときはこうなる。始めるまでは最高のシェフになれるつもりなのに、いざスタートするとそこにいるのはへっぽこ料理初心者だ。おぼつかない手で食材を切り、あちらこちらへと調理器具をばらまく。レシピがあるのに、手順はぐちゃぐちゃ。チャップリンでも目指しているのかというほど、せわしなく体は動いている。その結果、いざ料理ができる頃には、料理では回復しきれないほどの疲れが溜まっていることもしばしばだった。

そんなこんなでできた料理は、味もちぐはぐなものが多い。別にまずいわけじゃないし、美味しいと感じる。ただ味がまとまっていないことが多いのだ。料理の味のレーダーチャートがあるなら、どこかが飛び抜けていたり、どこかが萎んでいたりする。美味しいんだけど、なんかぐちゃぐちゃしている。そんな矛盾した味を僕の料理では味わうことができる。

ぐちゃぐちゃは食べ終わったあとにもある。皿洗いを待つ食器や調理器具たちがそれだ。あちらこちらへと自由気ままに置かれた食器たちは、様々な汚れを一矢纏わぬ姿で、これでもかと見せつけてくる。そしてそれらを一箇所に集めると、そこには汚れのオンパレードが完成する。どうせパレードならば、エレクトリカルパレードのように陽気なものがいいが、残念ながら目の前にあるのは容器だけだ、なんつって。そんなダジャレで逃げたくなるほど、目の前に広がったぐちゃぐちゃを、僕は少しずつ片し始める。

そんなこんなでも僕はときたま料理をする。それは料理をするのが好きだから。人から美味しいと言ってもらうよりも、自分で自分の食べたいものが作れる喜びの方が今は大きい。きっと誰かの前で料理をしたら、僕のぐちゃぐちゃな料理は見るに耐えないと思う。だからこそ、僕はひっそりと料理をする。僕だけが知っている、ぐちゃぐちゃの料理を、懲りずにまた楽しむのだ。