生きるのが下手くそなエッセイ

人生に悩みまくりの僕カシコが、エッセイやコラムを気が向いたときに書いていきます

書くこともないのに、言葉は紡がれる

言葉というのは不思議なものだ。自分から出たとは思えないようなものが、そこに載って運ばれていく。日々の苦しみや喜び、悲しみ、怒りが、隠せないほどに露わになってしまう。それは、僕自身も気づかないようなものさえ見せてしまう。

言葉は一つの流れのようだと思う。きっかけは小さな水源だ。なんてことないことが、感情として自分の中に生まれる。その水源を無視してしまうこともできるのだけど、言葉はそれを許さない。そこに源があるのならば、言葉はそれをどこまでも運ぼうとするからだ。

それは一つの流れとなっていく。自分でも行ったことのないような場所まで、その流れは広がっていく。そしてその流れは、川や湖や海のようになっていく。自分が沈んでしまいそうなほどの大きな場所に、言葉は僕を連れて行ってくれる。

もちろん自分で意識的に流れを生み出すこともある。自分の中に見つけた小さな源泉を、丁寧に丁寧に導いていく。その源泉が流れやすい方向へと誘導し、道を整え、目的の海へと向かわせることもできる。

でも言葉はそんなに扱いやすいものじゃない。ときには源泉すらないのに、流れだけを生み出そうとすらしてしまう。でもそれはきっと、地表に出ていないだけで、奥深くに眠っている水源がそうさせるのだろう。

言葉は僕を助けてくれる。自分で自分がわからないときでさえ、言葉は僕を表してくれるから。自分が今したいものや、なりたい姿を、知らぬ間に捉えてしまうから。書くことなんて何もないはずなのに、こうやって紡いでいってくれるから。

言葉は流れる。書くことがあろうとなかろうと、源泉が見えようと見えまいと。言葉は今日も多くの想いを、その流れとして紡いでいく。