生きるのが下手くそなエッセイ

人生に悩みまくりの僕カシコが、エッセイやコラムを気が向いたときに書いていきます

「ブルーピリオド」第7巻を読むのに1ヶ月かかった

「大人の胸にアイスピックを突き刺すような漫画」
ラジオでそう紹介された瞬間に、僕はその漫画を読むことを決めた。
それが「ブルーピリオド」。

現在7巻まで出ていて、多分読みはじめたときは6巻までしか発売されていなかったと思う。
全てをそつなくこなすけど、何にも打ち込めなかった主人公矢虎が、絵にハマって、東京藝術大学の受験を受けるという、美術受験漫画
1〜6巻までは、胸に言葉を喰らいながらも、わりとスルスルと読めていたのに、7巻になって、急に読む事ができなくなってしまった。
それは僕に、卑しくも「クリエイター」だという自覚があるからだった。

【注意】ここから先、重大なネタバレがあります。読みたいけどまだ読んでいない人は、読んでから来てください。

1〜6巻まで

1〜6巻までは、藝大受験編になっている。絵を描く楽しさを知った矢虎が、どんどんと知識やノウハウを吸収しながら、受験へと突き進む物語。
ここで語られるのは主に、藝大(他の芸大も含む)受験とはどのようなものか?そして、絵画ってどうやって描くのか?という二つだ。

前者は芸術系の大学に通ったことのない人間からすれば、全てが新しく感じる。芸大の倍率や、各学校の位置付け、そして予備校の存在。とりあえず大学進学しとくか、という形で大学に入った人からすれば、同じ受験といえど全く違った世界や常識が広がっていて、ページをどんどんとめくりたくなる。

後者は、もう少し普遍的なものだ。
絵とはどうやって完成されるものなのか。
思いつき?
ひらめき?
センス?

いや違う。

圧倒的な努力や鍛錬の上に成るものだと、この漫画では示される。

それはまず、膨大な知識や技術。例えば、道具から始まり、絵の構図や、デッサンの重要性など、地道なことをひたすら繰り返し行い、知ることで、自分の絵の精度を高める技術や、それを活かす知識を身につけていく。
それと並行して行っていくのが思考。もっといえば思考法を身につけること。与えられた課題に対してどのような絵を書くべきなのか。「自分しか」表現できないものとは何か。そんなことを延々と考えながら、矢虎は数々の課題、そして、それに伴って起きる人間関係の変化を経験していく。

そして6巻の最後に、矢虎は無事藝大に合格する。
1〜6巻までも読んでいて充分にしんどい。
それは、矢虎が努力を怠らないから。
自分がやりたいと思ったことに対しては、妥協しない。
折れても必要な量と質をこなす。
やり続ける。

多くの目標を途中で投げてきた僕たち大人にとって、その光景は心臓を突き抜けるような痛みにさえなりうる。
ただ7巻からは、別の痛みが僕の胸に押し寄せた。

7巻からの地獄

7巻からは藝大編が始まる。
入学早々、教授が矢虎に伝えた言葉で、僕はもう続きを読めなくなった。

「これ、絵画でやる意味ある?」

これが、まるで自分に言われたように感じたから。

この言葉の意味は文字通り、矢虎がやろうとしていたコンセプトに対して、絵の具で、平面で、手仕事でやる必要性があるものか?と尋ねている。
矢虎はとっさに返せない。
僕もだった。

僕は独学で映像を制作している。
それで人を笑顔にしたこともあるし、お金を得たこともある。
だから思っていた。
一応「クリエイター」だと。
でもこの質問に答えられなかった。

自分が表現したいものってなんだ?
それって映像じゃなきゃダメか?
この手法じゃなきゃダメか?
そのテーマじゃなきゃダメか?

この一言は、思考の浅さを突く質問だ。
あなたが何か制作を行うとき、それの意味をどこまで考えているか、その度合いを尋ねるものだ。

この質問からふと浮かんだのは、知り合いの藝大生だった。
その人は、絵画ではないものの、藝大でかなり優秀な人物らしい。
そんな人の卒業制作展を見に行ったとき、語ってくれた。

「このコンセプトじゃなきゃ、ダメなんですよ」

答えだった。
このあと詳しい説明をしてくれたが、僕は多分3割程度しか理解できなかった、というより理解しようとしなかった
その人の思考の深さが垣間見えたから。
そこを覗きたくなかったから。
それを覗いたら最後、次は僕自身に跳ね返ってくる。

お前の作品は何を考えている?

それに答える事ができないのがわかっていたからこそ、あえてこの質問を避けて通った。
自分が思考を蔑ろにして、いわゆる「作品」なんてものを作っていたことに向き合いたくなかったから。
だけど「ブルーピリオド」第7巻で出会ってしまった。
聞かれてしまった。
一瞬でも向き合ってしまった。
だから僕は、そのまま本を閉じた。

救いの1ページ

そんな事があってから、僕は自分の制作へのスタンスを改めた。
技術を磨くとともに、思考も磨く。
やっぱりしんどかった。
でもその先に見えたものは、今までの「作品」とは違っていた気がする。
それがちゃんとした作品になっているかはわからないけれど、少しずつ、ほんの少しずつ前進している気がした。

矢虎はどう乗り越えたんだろう。
気になって続きを読んだ。
彼は予備校時代の知り合い、桑名の一言に救われていた。

「ほんとはなんだってやっていいはずなんだよね」
「自分の人生 自分のもんなんだから」

向き合うのは他人じゃなく、自分。
自分に足りないなと思う部分があるなら、それを補う時間を作ればいい。
思考するタネがないなら、タネを集めるような時間を。
花を咲かす水がないなら、水をあげる時間を。
それがいつか、自分の作品を生み出す。
そのために人生を使い倒せばいいのだ。

「大学生活は始まったばっかりだ」

この言葉で、第7巻は終わる。
僕の人生はどうだろう。
うん。
まだ始まったばっかりだ。