生きるのが下手くそなエッセイ

人生に悩みまくりの僕カシコが、エッセイやコラムを気が向いたときに書いていきます

働いて暮らすことと幸せに生きることは全然違う

日本には、多くの人が働いて暮らしている。オフィス街だけでなく、学校や、役場、いろんな場所でいろんな人が、いろんな職業で働いている。働き方も人それぞれ。ガッチリと仕事に時間を割いている人もいれば、プライベートとのバランスを優先する人、そもそも時間を短めに働く人もいたりする。その中にも、正規雇用や非正規雇用という枠組みはあったりするけれど、誰もが働いて暮らしていることに変わりはない。

でも僕は思う。確かに働いて暮らすことは多くの人ができている。(もちろんできていない人もいるが、ここでは働いている人たちに焦点を合わせたい。)様々な立場や職務の違いはあれど、多くの人が毎日のように働いて暮らしている。でもそれは果たして、幸せに生きていると言えるんだろうか?

幸せに生きる

幸せに生きる。誰でも考えることだし、いろんなところで目にする言葉。でも幸せに生きるってどういうことだろう。お金や資産がたくさんあること?家族や友人に恵まれていること?没頭できる仕事や趣味があること?ここではもっとシンプルに考えてみよう。

あなたは今幸せですか?と聞かれて、Yesと答えられること。

僕の中で、幸せに生きるはこうやって考えられる。この線引きは人によって変わる。例えば同じ給料でも、Yesと答える人とNoと答える人がいると思う。でもそれこそが重要だと僕は思う。理屈や、理論を抜きにして、自分の人生が今幸せか。比較可能な数字ではなく、その人生を生きている自分は、本当に心から幸せだと感じているか。その答えがYesのとき、きっとその人は幸せに生きていると思う。

働いて暮らす

ただ社会にはまだまだ幸せに生きている人は少ないと僕は思う。想像してみて欲しい。自分の周りにいる人に、「今、幸せ?」と聞いてYesと答えられる人はどれだけいるだろう?確かに、社会的な立場ではとても充実しているかもしれない。仕事も順調、家族もいる、休みもちゃんととれる。でも、それは本当に幸せなの?そう聞かれると必ずしも全員がうなずくとは限らないように思う。

この状態を僕は、働いて暮らすと表現したい。つまり、人並みに仕事をして、お金を稼ぎ、日々の生活を営んでいるということ。多くの人が毎日行っていることでもある。ではこの生活に一つの質問をぶつけてみよう。

なんで働いているの?

多くの人はこう答えるだろう。日々の暮らしを営むため、生きていくためと。ではさらに尋ねてみる。

なんで日々の暮らしを営んでいるの?

どんな答えが返ってくるだろう。そりゃ死なないためとか、生きなきゃならないから、っていう答えが返ってくるだろうか。でもそれって、死なないために生きているってことにならないか?あれ、何かおかしい気がする。人間は最初に生、つまり生きることを与えられる。そしてその終わりが、死、死ぬことだ。でも今の答えだと、終わりにたどり着かないように生きていることになる。でも違うんじゃないか。僕らが生きることを与えられたのって、終わりが来るまでに、いろんなことをやるためじゃないのか?

手段の目的化

ここでは手段の目的化ということが起こっている。僕たちは何かをなすために生まれてきた。それは別に生産性という意味じゃない。誰かの支えになったり、ゆったりとした時間の流れを楽しんだり、自分の心が動くようなことをするために生まれてきたとも言えるかもしれない。つまり生きるということは、何かを得るための手段とも考えられる。でも、働いて暮らす人たちは、暮らすために働いている。つまり、本来は手段であった生きることを目的とした状態で、日々を暮らしているということだ。

極端にいえば、働いて暮らしている人たちは、生きる意味や目的などを失いかけている。この点が、幸せに生きることとの大きな違いだ。幸せに生きることとは、文字通り、幸せという意味や目的のために、生きるという手段を使っている。幸せに生きている人たちは、さっきの質問にも答えることができる。なんで働くの?なんで生きてるの?

幸せだから!と。

幸せに生きることは難しい…でも。

僕はこう考えているから、幸せに生きるようにしている。確かに幸せに生きることは難しい。そもそも自分にとっての幸せがなんなのかという大きな問題を考えなきゃいけないし、答えた後も人生をその幸せに近づけるようにしていかなきゃならない。でも、難しいからって後回しにしたり、見ないふりをしてしまっていいのだろうか。幸せに生きることを遠くにしてしまった人生は、本当にいいものなんだろうか?と僕は思う。

もう一度言う、幸せに生きることは難しい。でも、できなくはない。自分の幸せを、毎日の心の動きの中で考えて、感じる。その胸の高鳴りの方向に行けるよう、自分の日々を生きていく。そうすれば、少しずつではあるけれど、幸せに生きることに近づいていく。そして、幸せに近づいている過程も、また幸せに生きているとも言える。矛盾のように感じるかもしれないけど、自分が感じる幸せな人生に近づく感覚は、嬉しくてたまらないものだからだ。だからまずは幸せに生きようとしてみること。これだけで、毎日を消費すること、働いて暮らすことから抜け出すきっかけになる。目的となっていた生活から離れて、自分の人生の目的や、自分の幸せ、新しい人生の意味をまずは考えてみる。それに少しずつ近づくようにすれば、きっとあなたは幸せに生きることができる。

今だからこそ

世界は今、出会ったことのない大きな分岐点の上にある。ここから先はもしかすると今まで見てきた世界とは全く違った世界になるかもしれない。だけどそんなときだからこそ、自分をもう一度見つめ直すチャンスだとも思える。これまでおざなりにしてきた、自分とちゃんと対話をする機会。自分がどう生きていきたいのか、どうなっていきたいのか。大変だけど大事なことを、今こそ考えてみてはどうだろうか。これからどんな世界になろうとも、その世界を幸せに生きられるように。