生きるのが下手くそなエッセイ

人生に悩みまくりの僕カシコが、エッセイやコラムを気が向いたときに書いていきます

noteを楽しむために、noteアプリを削除した

土日月と三日間、noteから意識的に離れていました。それはここ最近の自分のnote生活を考えてのことでした。結果として、今note活動に改めて向き合えているんじゃないかと思います。どういう経緯で、noteから距離を取ろうと思ったのかを、整理も兼ねてまとめたいと思います。

ビュー数の増加

僕がnoteをはじめて、先月末で2ヶ月が経ちました。始めた当初と比べると、フォローしてくれる方が増えたり、スキをしてくれる方が増えたりと、note生活が楽しくなっていました。その中でも最も増えたものが、ビュー数、つまり記事への閲覧数でした。

noteを始めた当初は、一記事に対して、一桁ぐらいの閲覧数がついていました。それでも、読まれることがすごく嬉しかったのですが、開始1ヶ月を過ぎたあたりから様子が変わってきました。ちょうど通算ビュー数が1000を超えたあたりだと思います。

記事の閲覧数の平均値が上がってきたのです。大体記事を出してから24時間で、30前後は読まれるようになってきました。その中でも、一部の記事はさらに閲覧数が伸びて、最終的には、70〜80程度まで閲覧数が伸びるようになりました。始めた頃と比べれば、文字通り10倍の人に読まれるようになっていて、僕としては数字が増えていくことを嬉しく感じていました。

一つの記事の閲覧数が伸びるということは、同時に通算の閲覧数も伸びるということです。1000ビューを達成するのに1ヶ月程度かかったのに対して、約10日で、500ビューの閲覧数が増加するようになっていました。ここで僕の感覚が少しおかしくなり始めました。

書けば伸びるゲーム

記事を書けば書いただけ、閲覧数が伸びていく。この感覚が僕にとってゲームのように感じられ始めました。極力短い期間で、より多くの閲覧数を稼ぐ。そのためには、みんなが読みたそうな記事を書く。そんなことを繰り返し行うようになりました。

その時に僕が最も見ていたものが、ダッシュボードです。noteで発信をしている方ならご存知だと思いますが、ダッシュボードとは、記事ごとの閲覧数やスキの数がわかるユーザーページみたいなものです。僕はこれを、一日に何度も何度も見るようになりました。

ダッシュボードの更新は、随時ではなく、定期更新です。つまり、更新のタイミングが来ると、それまでの数字が一気に加算されることになります。ただそのタイミングは大まかで、具体的に何時何分に更新されるというところまではわかりませんでした。だから僕は、何度もnoteアプリを開くようになりました。

朝起きたら、まずスマホを開いてダッシュボードを確認する。出勤中にも、一瞬だけ開いて確認する。お昼休みに入ると、まず確認する。仕事が終わると確認する。夜ご飯を食べたら、記事を書いて確認する。お風呂に入る前に確認して、お風呂から出たら確認する。寝る前に確認して、また次の朝確認する。もう一種のSNS中毒でした。

きっかけの二つの記事

そんなnote生活を続けていると、記事を毎日更新するようになりました。書けば伸びるなら、記事を多く書いた方が閲覧数の増加につながるからです。そうやって書いた記事の中でも、もちろん僕なりの文章を、と思って執筆を続けました。ですが、とある二つの記事によって、違和感を感じることになりました。

まずはこの記事です。

僕が書く記事で、閲覧数が伸びやすいタイプは、観点の共有を行うものだと思い、それを狙った記事を書きました。個人的には、この記事の内容自体は僕が結構感じることでもあり、文章自体にも時間をかけました。ですが、この記事は、閲覧数が思ったほど伸びませんでした。

そしてこの記事です。

久々に料理をしたことを書いた文章でした。料理をしたのは事実だし、そこで感じたことも事実です。ですが、この文章の違和感は、記事が生まれるまでの流れにありました。「記事を書くために料理をしよう」と思ったのです。

元々その日は料理をする予定だったんですけど、ちょっと体調が悪くて、外食して帰ろうかと思っていました。ですが、そう考えていたときに、「でもこれ今日の記事にするしなぁ」という考えが頭をよぎったのです。その結果、ちょっと無理をして買い物に行き、ちょっと無理して料理をしました。

ですがちょっと無理を重ねた料理は、あまり良い文章に繋がりませんでした。もちろん読んでくださった方や、スキをつけてくださった方がいるのは嬉しいです。ただこの記事を書いているときに、とても迷いながら書いていました。それは多分、当初こうなるだろうと思った展開で料理が進まず、書きたい理想の流れと、実際の流れに差がありすぎて混乱したんだと思います。もちろん、閲覧数もそれほど伸びませんでした。

この二つの記事を書いてから、僕の中でちょっとした「しんどさ」をnoteに感じるようになりました。別に毎日文章を書くことは負担ではありません。ただ、気持ちが載っていないことを文章にするのが、少しだけ辛く感じました。

何のためのnoteだっけ

そこで改めて、僕がnoteで活動している目的を考えました。

この自己紹介の記事に、以前まとめていたので引用します。

1:執筆を楽しむ
2:共作につなげる
3:コミュニティを形成する

1番が答えですね。この時の僕は執筆を楽しむのではなく、その先にある数字ばかりを気にするようになっていました。その結果、本来大切にしていた、文章を書くという過程を軽視して、閲覧数という結果だけに着目してしまいました。僕のnoteの目的が、いつからかすり替わっていたのです。

このことに気付いた僕は、少しでも良いからnoteから離れようと思いました。記事を執筆せず、読むこともせず、閲覧数も見ないようにする。そのために一番障害だったのが、スマホの中にあるnoteのアプリでした。なので僕は、noteアプリをアンインストールしました。

そうしてnoteから離れた生活をしていると、自分でもちょっと驚くことがおきました。自然と書きたいことが生まれてきたのです。数が稼げそうとかではなく、この考えをまとめたい、書いておきたいという想いが生まれました。そうして昨日から僕はまたnoteでの活動を再開しました。

楽しむために必要なもの

noteでの活動を再開した僕は、以前と違うところが二つあります。一つは、noteアプリをアンインストールしていること。もう一つはダッシュボードをブックマークから外したことです。これまでは、noteのブックマークとして、PCのブラウザにダッシュボードを表示していました。ですが、これからはダッシュボードをあまり見たくない、そう思ってダッシュボードへのリンクの代わりに、noteのトップページへのリンクをブックマークにしました。

この二つの変化はとても大きなものでした。一つはnoteに触れる時間が格段に減ったということです。休憩時間中に、意味もなくアプリを開くことがなくなりました。現在noteに触れる時間は、帰宅してからの一回だけになりました。さらに、自分の記事や活動に対するスタンスも変わりました。数字ではなく、文章を基準に活動を続けて行こうと思ったのです。閲覧数ではなく、お知らせに現れるスキやコメントを見ながら、自分の気持ちを中心とした記事の執筆を心がけようと改めて思いました。

改めて、僕はnoteでの活動を楽しんでいきたいと思います。でもそれは同時にnoteにどっぷり浸かるということではありません。自分なりの距離感をはかりながら、適度な関係性で続けていく。それこそが、僕が最もnoteを楽しむために必要なことではないかと、今回のことを通して思いました。