生きるのが下手くそなエッセイ

人生に悩みまくりの僕カシコが、エッセイやコラムを気が向いたときに書いていきます

あなたの「ジェンダー」観、本当に大丈夫?僕に突きつけられたステレオタイプ。

「路上で交通事故がありました。大型トラックがある男性とその息子をひきました。父親は即死しました。息子は病院に運ばれました。病院の外科医は『これは私の息子!』と悲鳴を上げました。」
さて、息子と外科医の関係を答えてください。

あなたはこの文章がすぐに理解できましたか?僕はできませんでした。こんな簡単なことでも、自分の中にあるステレオタイプに気づくことはできるのです。この記事では、僕とこの文章との出会いまでを記します。
※場合によってはこの記事は非公開にします。ご了承ください。

ジェンダーとは

これを読んでいるあなたは、ジェンダーという言葉に聞き覚えや親しみがあるのではないでしょうか。ジェンダー」とは、文化・社会的に規定された性のあり方を指します。男性なら外で働く、女性は家で家事をする、みたいなのがわかりやすいですかね。これに対しては、今だと古い考え方だと指摘されるのが一般的でしょう。ただこれ以外にも、現在でも様々な「ジェンダー」の問題が存在します。今回はそこがメインではないので触れませんが、気になる方は書籍がたくさん出ているので、手に取ってみることをお勧めします。ちなみに生物学的な性差は「セックス」と呼ばれます。
僕は大学生時代に、この「ジェンダー」という概念というか、呼び名に出会い、そこから自分の研究に取り入れたりもしました。その理由はそもそも自分が偏った「ジェンダー」観を持っていた人間だからです。

大黒柱としてのジェンダー

小学生や中学生の頃の僕は、典型的な男性中心的な発想をしていました。家族というものがそもそも前提として用意されており、その中心は仕事で稼ぐ父親、母親はそのサポートであればいいと思っていました。それは、家族の中で担当する役割を分けたほうがいいと考えていたからです。「誰か」が稼いでくれるなら、他の人はサポートだけすればいいじゃん。と思っていました。ただし、その「誰か」に母親や女性という言葉は自然と入ることはありませんでした。

大学で学んだこの世のアンバランス

大学に入って、人文学系の学問を専攻した僕は、自分の「ジェンダー」観を改めることになります。自分のこれまでの考えが、どれだけ男性中心的だったか。同時にその影響でどれだけの女性、及びその他の性的マイノリティーの人々が苦しんでいるのかを知ったからです。そこから僕は、自分の興味もあり、日本の「ジェンダー」観とも関わりの強い、サラリーマンを研究することにしました。その中で、フェミニズムの書籍も多少かじり、知り合いの中でも多少「ジェンダー」についての知識を持っているという感じになりました。それに伴い僕自身の意識も、ジェンダーに関する固定観念ステレオタイプなんか僕にはなくなった」という風に変化していきました。しかし、ステレオタイプはそんな簡単に無くなるものではありませんでした。

自分の中にあるステレオタイプ

ここ最近で、自分の中のステレオタイプに気づく瞬間がありました。一つは友達との会話の中です。
「でも今の僕じゃ、年収低いから結婚できないわ。」
ポロリと出た言葉でした。いわゆる本音です。この言葉を口にした次の瞬間、違和感に襲われました。

あれ?なんで僕がお金ないと、結婚できないの?


互いに自立して生活できれば、問題なくない?



僕が相手を養えないと結婚しちゃいけないのか?




僕の中にあったステレオタイプは消えていませんでした。心のどこかで、お金は男性が稼ぐもの、というステレオタイプが残っていたのです。ただこのときは、友達との話ということもあり、ちょっと気になった、という程度でした。
(※コメントがありましたので追記:そもそも日本における結婚というのは、異性愛主義を補強するシステムだという一面もあります。僕自身は結婚に懐疑的ではありますが、それを強く拒否するものではないというスタンスです。)
そしてもう一つが、冒頭の文章です。これは以下の記事からの引用になります。(ジェンダーの定義も参考にしました)

冒頭の問いの答えは、母親です。外科医は息子の母親だったということです。あなたは答えることができたでしょうか。僕はできませんでした。この文章、良くわからないな。そう思ったのです。僕の中で考えられた答えは、外科医=同性愛者か、息子は外科医の婚外子で、息子には二人の父親がいる、というものでした。どちらにせよ、「外科医=女性」という考えには微塵も至っていないわけです。この文章は今日見かけたものでしたが、答えを見た瞬間、自分の男性中心的なステレオタイプを一瞬で自覚しました。それと同時に、まだこんなレベルの感覚を持っているのか…と、自分自身に悲しくなりました。

残念な自分を一旦認める

ただ、悲しんで悲劇の主人公を演じている場合ではありません。本当に悲しい状況、悲惨な状況、不平等な状況にいるのは、女性やその他の性的マイノリティーの方達だからです。なので、ここから改めて自分の意識や知識を積み上げて行くことにしました。まずは、自分の中のステレオタイプと向き合い、現状を認識して、一旦受け入れる。その上で、自分がどうなりたいかということを考えて、今後の人生を生きていこうと思います。もし、あなたの中にもステレオタイプがあるなら、ここからはじめていきませんか?