生きるのが下手くそなエッセイ

人生に悩みまくりの僕カシコが、エッセイやコラムを気が向いたときに書いていきます

自分を信じることでしか、20代後半を生き抜けないと思った

この記事は、全ての20代後半の人に当てはまるものではない。20代の中でも、この時期特有のもどかしさに苦しんでいる人に向けている。それは同時に、僕に向けて書くこととも重なる。今もどかしくて、生きづらくて、苦しんでいる20代後半のあなたへ。ここにもあなたのような人間がいて、必死にもがいているのだと、声をあげたいと思う。

20代後半のもどかしさ

もどかしさ。これが、今の僕を苦しめる原因だ。もどかしさと言っても、それぞれの年代やシチュエーションで様々なものがあると思う。その中でも、この20代後半に襲うもどかしさとは、焦燥感だ。日本における20代後半とは、様々な出来事が周りで起き始める。仕事では、ある程度大きな業務を任されたり、転職を行う人が増えてくる。プライベートでは、結婚したり、出産したりする人が増えてくる。趣味なんかでも、ある程度続けてきた人は、一定の形になって世間に認められ始めていたりする。これらが一気に襲ってくるのが20大後半という時期だ。その理由はとても簡単で、周りの人たちがやってきたことが、数年間をかけて熟成しかけているからだ。まいた種が、大きな花とまでは行かないものの、小さくも綺麗に咲き始める。そんな開花の時期が、この時期だと僕は思う。

呪いの「じゃあ」

そんな状況が、周りで起こっているのを想像してみて欲しい。僕の場合は、凄まじい自己嫌悪に陥った。それは、周りの人物と自分を比べてしまったから。あの人は転職した、この人は子供が生まれた、あいつはテレビから声が聞こえてくる、そいつは海外に行った。



じゃあ自分は?


呪いのような質問。周りをみた後に、自分に焦点を当ててしまう。僕は何かをやってきたか?僕は何かを成してきたか?僕は誰かの何かになったか?この質問たちの答えが「No」だと気づいたとき、僕は心底自分が嫌いになった。

あなたはどうだろう。きっとこの質問の一つでも「Yes」と答えられたのなら、それは素晴らしいことだと思う。僕みたいな人間が書いている記事を読んでいる場合じゃなく、その「Yes」に集中した方がいいのかもしれない。ただ、僕は思う。ここで「Yes」と答えられる人は、どれだけいるのだろうかと。

「Yes」と言えなくても生きるために

問題はここからだ。確かに僕たちは「Yes」と答えられなかった。でも人生は続いていく。毎日は繰り返す。朝は来ちゃうし、夜は訪れてしまう。こんな日々を、僕たちはどう過ごしていけばいいんだろう?何も手に持っていない僕らは、明日から、いや、今からどうやって生きていけばいいんだろう。その答えがとても欲しい。でも、この問題は、そんなに簡単じゃない。答えが明確でもない。一つでもない。そもそも多分、答えなんかない。だけれど生きるために、僕たちは探さなきゃいけない。見つけなきゃいけない。これからの生活を、人生を、心を支えてくれる答えを。

今やれること

僕なりに必死にもがいて考えた答えは、とてもシンプルだった。それは、


自分を信じてあげること。


今はまだなにもないし、なんでもない僕ができるのは、自分を信じてあげることしかなかった。
いつかきっと、この手に荷物を持てるように。
いつかきっと、誰かのなにかになれるように。
いつかきっと、両足で地面にしっかりと立てるように。
まずは信じること。自分の未来を信じること。根拠も、論理もない。ただただ、信じ抜くこと。バカだと言われようが、周りから揶揄されようが、信じ続けること。信じながら、今を精一杯生きること。そうしていれば、いつかきっと自分の未来が生み出せると、強く疑わないこと。
正直めちゃめちゃ難しい。でもこれぐらいしか、今の僕にはできないから、今できる精一杯をやろう。未来を作るために、未来を見てはいけない。今を見ろ。今を重ねろ。その先にしか、未来はないんだから。

この答えが、あなたの答えとは限らない。ただ、ここにもあなたのように、必死でもがいて生きようとしている人間がいることを知ってほしい。自分の人生捨てたもんじゃないと、いつか高らかに笑うために。顔も知らないあなただけど、同じ空の下で一緒に生きていたいと、僕は思う。