生きるのが下手くそなエッセイ

人生に悩みまくりの僕カシコが、エッセイやコラムを気が向いたときに書いていきます

僕は変なヤツになりたい

人間が生きていると、自分のいるコミュニティってある程度固まってくる。そしてその中に長い間いると、その中の常識に囚われてしまいやすくなる。僕はそれがあんまり好きじゃない。ここでは常識かもしれないけれど、あちらでは非常識かもしれないという感覚を常に持っていたい。

だから僕は変なヤツでい続けたい。そのコミュニティでちょっと浮いた人になりたい。「あいつノリ悪いな」ぐらいでちょうどいい。そんなノリはどうせそこでしか発生しないスモールウェーブだろうと思うから。

そのために僕はいくつかのコミュニティに同時にい続けている。一つは職場。結構カタめな感じ。もう一つは友人たち。元々はIT系のアルバイトで一緒だった。もう一つは参加している音楽関係のコミュニティ。だけどまだ小さいので、ここnoteと合わせて、クリエイティブ的ということで一つとしよう。計3つ。それが僕が今いるコミュニティの数だ。

それぞれの場所で、僕は変なヤツだ。硬めの職場では、ITに強いとして重宝される。友人関係では、クリエイティブ的なことや海外に行きたがっていることを面白がられる。ここや音楽コミュニティでは、まだよくわからんやつとでも認識されているだろうか。それぞれのコミュニティで、別のコミュニティの常識を見せるだけで、意外と簡単に変なヤツになれてしまう。

そして何より変なヤツでいることが面白い。本来交わらなかったであろう要素が、僕を通して交わることがあるからだ。今までそれぞれが常識だと思っていたものが、形を変えていく様はとても面白いし、形を変える手伝いをすることはとても楽しい。Aでの常識を、Bでの常識と混ぜ合わせる。ぐちゃぐちゃにしてできたものは、意外と綺麗な色になったりする。

だから僕は恐れない。常識がないことを。きっとその常識は世界の常識なんかじゃないから。常識をぶつけてくるヤツには、別の常識でもぶつけてやればいいのだ。そこでむしろ化学反応を起こしてやるのだ。それで疎まれても別にいい。言わせておけばいい。「あいつ、変なヤツだな」と。