生きるのが下手くそなエッセイ

人生に悩みまくりの僕カシコが、エッセイやコラムを気が向いたときに書いていきます

4月になった

4月。学年が新しくなる。

いわゆる別れと出会いの季節である。

俺としては全然そんな感じがしない。

というか4月の実感が全くといっていいほどわかない。

就活も解禁され一か月が経った。

結局残業0の企業が見つからず、故に企業を選ぶこともできず、とりあえずで就活を進めている。

とりあえずSPI対策。

とりあえず就活写真。

とりあえずエントリー。

とりあえず合説。

とりあえず企業説明会。

とりあえずES。

どこにも熱意なんてものはない。

職を得たいという気持ちがわかない。

もちろん今の環境が非常に恵まれているからというのは、もちろん大きい。

ただ、ESに書くレベルの動機すらない。

俺をよく知るあるやつが俺に言った。

「今のお前には仕事選ぶ権利なんかないから、とりあえずどっか就職しろ」

当たり前だと感じた。

自分の怠惰でまともな準備をせず、自分の怠惰で他の道も閉ざした。

その閉塞感から抜け出すために別の出口を提示したものの、それはそれで辛そうだから嫌だといい。

挙句の果てに

「吐き気がする」

これである。

それは、やれるやつだけがいっていい言葉だ。

さらに病んだような感じになって、まさにチキンレースをやる。

あほか

自分の記憶が周りからなくなってくれたらとも思った。

ハリポタでハーマイオニーが使ったやつだ。

あれだけが現状を最も幸せにする方法だと本気で考えた。

俺は自分に絶望している。

もっと普通でいられたらどれだけ楽だっただろう。

もっといい子でいられたらどれだけよかっただろう。

お父さん、お母さん、本当にごめんなさい。

他の家族や、親しい人にも本当にごめんなさい。

こんな感覚を背負っているのが辛すぎた。

世間一般というやつから普通だと思われることを素直にやれば楽なんだと思った。

それがどれだけ嫌いでも。

それがどれだけ納得できなくても。

だから俺は考えることをやめている。

こんなことは今は考えなくていいんだと。

そういうことにして、今は「普通」になろうと頑張っている。

これができるみんなは本当にすごいと思う。

ただ、それと同時に「熱意」も失った。

普通になることに熱意は起きなかった。

多分このままいくと俺は就活に失敗?するだろう。

無内定というやつである。

ただその現状を変えたいとも、変えようとも思わない。

最近変な悟りを開いている。

人生流れがある

というものである。

かつて運命論を信じていたころの感覚に近づいてきているのであろうか。

それは、失恋という波にさらわれていった。

でも、今それに近づいているかもしれない。

ということは、もしかしたら、俺はあの頃の俺に戻っているのかもしれない。

それは、いやだなぁ。

とりあえず今は自分のしたいこととか、したくないこととか、そんなことを言わないようにしている。

とりあえず今をこなそう。流そう。やり過ごそう。

そんな感じである。

あー、改めて文字に起こすとネガティブだなぁ(笑)

LA LA LAND聞こっと。