生きるのが下手くそなエッセイ

人生に悩みまくりの僕カシコが、エッセイやコラムを気が向いたときに書いていきます

一旦あっちいけをする

僕はなぜ言葉を使うのだろう。日々の気持ちを言葉にし、文章にし、誰かに伝えたり、伝えなかったりする。もちろん伝えずとも生活はできる。言葉を使うというのは、人間が生きていく上で欠かせないものではない(話さなくても死なない的な意味で)。だけどそれでも僕は今日も言葉を綴ってしまう。

いろんな考え方があるだろうし、いろんな意味があるんだと思う。僕は今朝、そのうちの一つに頼った。昨日の夜、ちょっと嫌なことがあった。ちゃんというと嫌なことと、というよりは、心が悪い意味で動いてしまったことだった。これに関しては、誰かが悪いわけではなく、ただただ僕がそう受け取ってしまっただけなので、責めるようなこともないし、できない。でも心の中にはズーンとした何かが生まれてしまって、それは音楽を聞いたり、ラーメンを食べたりしてもどうにもならないわけで。

ラーメン

(ちなみにラーメンはめちゃおいしかった、ごちそうさまでした)

なんだかなぁと思いながら、宿に戻ってラジオを聞きながら寝た。

朝起きると少しはよくなっていた。僕はとても単純なので、睡眠を挟むだけで大体前向きになれる。ただ前向きというだけで、気持ちは前に向きつつ、心は昨日の方を向いていることもある。今朝はまさにそれで、気持ち良い寝覚めだと思った次の瞬間には、昨日の心のズーンが感じられてしまった。どうしようか、今日はこいつを抱えたまま動きたくないのだよなぁ…。そう思った僕はおもむろに音楽を流した。

適当なビートを流して、そこにフリースタイルでラップをした。僕はストレスとかがたまったり、嬉しいことがあるとラップをする。別にうまくもないし、曲を書いているわけでもないので、ラッパーではないのだけど、それでも言葉でリズムを、ライムやフローを刻んでいくのは気持ち良いし、楽しい。

その中で、自分のモヤモヤを吐き出していく。言葉にしていく。自分の嫌な気持ちで韻を踏み、軽やかだと感じるフローをして、気持ちを音の波、言葉の潮へと載せる。それは遠く遠く、奥の方へと流れていく。でもずっと向こう側にいくわけではなくて、いつかは戻ってきたりする。でも良いのだ。今はそのモヤモヤに対処できるような状態ではないのだから、一旦あっちいけをする。それでいつか、いつかまた向き合おうかなと思ったときに、その波を手繰り寄せよう。

音に言葉に、自分の気持ちを預ける。自分が今日、前を向いて生きられるように。今日の僕にどうしようもないことは、明日からの自分に任せる。その明日が来るまでは、言葉よ、申し訳ないが少しこの気持ちを預かっておくれ。