生きるのが下手くそなエッセイ

人生に悩みまくりの僕カシコが、エッセイやコラムを気が向いたときに書いていきます

『ジョン・ウィック』(2014)「社会化した殺し屋たち」61、62、63日目

こんにちは、カシコです。

今回は、ジョン・ウィック』(2014) を見たので、

その感想を書いていきたいと思います。

ネタバレありなので、気になる方は注意してください。

 

 

<登場人物>

 ジョン・ウィック:本作の主人公。不可能な任務はないと呼ばれたほどの伝説の殺し屋。だが、愛する女性と出会い、数年前に、殺し屋から足を洗う。しかし、物語のOPで彼の愛する人が亡くなったことが明かされる。

ヘレン:ジョンの妻。5年前にジョンと出会い、ジョンが殺し屋をやめるきっかけとなる。ただし、OPで病により亡くなってしまう。

ヴィゴ・タラソフ:マフィアのボス。かつてジョンを雇っていた。息子がジョンに狙われることになり、彼を守るため、ジョンに殺し屋を差し向ける。

ヨセフ・タラソフ:ヴィゴの息子。基本的に調子に乗っている。ジョンのことを知らずに、彼の車を盗み、犬を殺害。ジョンに命を狙われることとなる。

 

<簡単な物語紹介>

ジョンは愛する人ヘレンを亡くした。自分の人生を変えるきっかけをくれた人物だった。その悲しみに暮れる中、一匹の犬がジョンのもとに届けられる。それは、ヘレンがジョンに送った犬だった。彼女から希望を持つようにと預けられた犬と共に、悲しみを癒していこうとした矢先、事件は起きる。ガソリンスタンドで絡まれたチンピラが、ジョンの家に押し入り、彼の車を盗んだうえに、彼の犬を殺してしまう。ヘレンが残してくれた希望である犬を殺されたジョンは、チンピラたちに復讐を誓う。そのチンピラたちは、かつて自分も雇われたことのあるマフィアのボスの息子だった。復讐のためにジョンは再び殺し屋として、彼を襲った犯人、ヨセフの命を狙う。 

 

<殺し屋の社会が紡ぐ物語>

この映画では、殺し屋たちが形成する社会が物語の中心となっています。

物語でも紹介したように、今作でジョンが狙うターゲットは知り合いの息子です。

ジョンを狙ってくる殺し屋もがジョンの知り合いだったりします。

さらに細かいところだと、潜入するクラブの警備員をしている殺し屋や、

横の部屋に泊まっている殺し屋も知り合いです。

このため、殺し屋たちが大量に出てくる映画にも関わらず、

どこか知り合い同士の身内感のあるノリになっており、

殺し屋同士のギスギスとした関係性とはすこし距離を置いています。

普通に彼ら彼女らが会話している感じは、まったく殺し屋の雰囲気を感じさせません。

あくまでも「殺し屋」というのは「職業」であり、

「仕事」であるという、社会的な面が強調されています。

 

その極端な例が、ジョンが部屋で殺されかけているシーンです。

部屋に侵入してくる殺し屋は、その前夜に、

バーであいさつを交わした、かつてからの知り合いです。

そんな人物からの殺しに対抗して、絶賛戦闘中の部屋に電話がかかってきます。

戦闘がひと段落して、電話を取ると、ホテルのコンシェルジュからの電話であり、

「周りの客から騒音の苦情が来ています」

との内容でした。

この異常なまでの通常時的な対応は、殺しが「特別なこと」ではなく、

「日常化された仕事」として認識されているからこそ起こりうるのだと感じました。

このように、社会的な役割=仕事としての「殺し」をさらに強調する存在も、

この映画には登場します。

それは「コンチネンタル」と呼ばれる組織です。

この組織は、殺し屋たちを全面的にサポートする存在です。

例えば、ホテルを提供したり、殺人後の清掃を請け負ったりなどです。

先ほどの場面も、このホテルが舞台となっていました。

これらのサービスを利用する際には、

コンチネンタル内で流通している金貨を貨幣替わりに使用します。

また、ホテル内での「仕事」の禁止などの、一定のルールも存在します。

殺しという「仕事」を行う、「殺し屋」という職業の人間が一定数いることにより、

独自のルールが形成され、社会化されていることがよくわかります。

そんな独特の世界観で進んでいく、この作品。

ですが、やっぱり一番の見どころはなんといってもアクションでしょう。

 

<プロの仕事してのアクション>

キアヌ・リーブスかっけえ…

この一言に尽きる気がします(笑)

この映画のアクションは、先程も述べたように、「仕事」としての殺しの中で行われます。

そのため、殺すことが目的となっており、

必要でなければ派手な戦闘は起こしません。

闇に紛れたり、敵に気づかれないように忍び寄ったりします。

そして、確実について目的=殺しを行うために、ほぼ毎回ヘッドショットを食らわします。

このステルス風の、スタイリッシュなアクションが、キアヌの雰囲気とばっちり合っています。

しかし、やはり完全に隠れての殺しは難しく、大体途中から敵に見つかります。

そこからは、1対多数の肉弾戦をも辞さない派手なアクションに切り替わっていきます。

ですが、派手といえど「仕事」は「仕事」です。

素早く敵を殺していきます。

特に雑魚的相手なら、10秒で3人ぐらい殺しています、もちろんヘッドショットで()

無駄のない動きを、多数人相手にかますことで派手さが生まれています。

もちろんもみ合いになることもありますが、

その中にもプロ同士の一進一退の攻防が見て取れます。

このプロフェッショナル感や、スタイリッシュ感を出すために、

前振りとして、武器の準備シーンが度々挿入されます。

銃を並べ、弾を込め、仕事着(ジョンの場合はスーツ)を着る。

この一つ一つの所作を丁寧に、しかし素早く行っている様子を見せることで、

彼らの仕事に対する熟練度がわかります。

そして、洗練された動きというのは、それだけでかっこよく見えるのです。

アクションでいうと車を用いた、カーアクションも結構行われます。

車自体のかっこよさも結構強調されていて、

車全体を録るようなロングショット(引きのショット)も目立ちます。

そんな車をジョンが銃を片手に颯爽と運転する様は、

かっこよくないわけありません

全体を通して、スタイリッシュ感、

言い換えればある種の洗練された美学に基づいた、

人や車のアクションが目白押しという印象でした。

 

<妖艶なカラーとそれを活かすカメラワーク>

独特の世界観と、スタイリッシュなアクションを支えるのが、作品の色です。

ここで指しているのは、文字通りの映画の色、カラーです。

この作品で用いられている色は、全体的に暗めのトーンでくすんだように感じられます。

ですが、色自体は赤や青など、主張の強い色を混ぜ込むなど、色自体の存在感も感じるカラーリングになっています。

一言でいえば、妖艶な色してます(笑)

そんな色を存分に味わえるように、

定期的にロングショット(カメラを引いて、場所全体を映すようなショット)で

全体を映すショットが差し込まれす。

この映画におけるロングショットは、

動きよりも一枚絵として映えるような絵づくりを作り出しています。

たとえば、協会らしきところで捕まっているジョンや、

部屋でタバコ(葉巻?)を吹かすヴィゴ、

さらにはクラブの入り口をとらえたショットや、

街を真上から撮り下ろすショットなど、

個人的にかっけえな…、と感じるような絵づくりが盛りだくさんです。

さらにそれをクロスカッティングという手法を用いて挿入しています。

この手法はA→B→A→Bと異なる場面を交互に見せていく手法です。

これにより、動きなどと対比されて、より静止画的なショットが強調されます。

アクションの少ない場面でも、静止画として映えるショットが挿入されることで、

この映画全体のスタイリッシュな雰囲気が、

途切れることなく保たれていると感じました。

 

<終わりに>

全体を通して見た印象としては、ザ・アクション映画といったところでしょうか。

物語自体はとてもシンプルなので、正にアクションを見るための作品でしたね。

アクション自体はもちろん好きでしたが、世界観が個人的に結構好きでした。

大勢で見ても楽しめる作品なのは間違いなさそうです。

続編もありますし、新作もやるようなので少しずつ追っていこうかなと思います。

キアヌ・リーブスが『マトリックス』(1999)以来、

復活した映画とも言われているので、

キアヌファンの人はぜひ見てみてください!

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