生きるのが下手くそなエッセイ

人生に悩みまくりの僕カシコが、エッセイやコラムを気が向いたときに書いていきます

僕の黙祷は、クリック音の中だった。

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3.11

あれから今年で10年が経った。3.11当日、いろんなところでいろんな話が出た、聞こえた。少し遅れてしまったけれど、僕の3.11に関する思いを残しておきたいと思う。僕の黙祷は、マウスクリックが響く中で行われたということを。

10年前

10年前、僕は学生だった。ちょうど受験の真っ最中だった。帰宅して、家で休憩していた頃だったと思う。突如、家が大きく揺れた。我が家は揺れには弱く、近くで工事なんかが行われていると結構揺れていた。今日もなんかの工事かなと思って、外を覗いたけれど、それらしきものはどこにも見当たらなかった。

揺れはおさまらなかった。いつもならば、揺れたな、と思っているうちに終わるはずの揺れが、その日はずっと続いた。いつもとは違う。その感覚だけが高まってきて、家にいた家族と声を掛け合った。

幸い、大きな被害はなく、家も家族も無事だった。「大きな地震だったね。」そんな他愛もない会話は、ニュース番組をつけた途端に立ち消えた。後に東日本大震災と呼ばれる、日本の歴史に残ってしまうような地震だった。

この10年間

当時の僕は何をするわけでもなかった。日々のニュースを見て、地震が、津波が、原発が、とりあえず危ない状況、当時の感覚でいえばヤバイ状況だってことだけがわかった。でもそのヤバイに対して自分ができたこと、やったことは何もなかった。少しずつ時間だけが過ぎていった。

いつしか、一般の人が東北を訪れるようになった。ボランティアだったり、支援だったり、それぞれの形で。そんな中、僕は一本の動画を見た。被災地に行った人たちが撮影した動画だったと思う。僕が当時ハマっていたRADWIMPSの「音の葉」という曲をBGMにしたものだった。そこには、多分これまでのどんな映像よりも、自分に近い立場からの映像が残っていた。何がというわけではないが、泣いていた。きっと僕は、この事実を無視してはいけない。何かを考えなければいけない。そんな思いを胸に抱いた。

いつか行かなければ

そう思った。

10年目

2021年。とある春の日。その日も寝坊した。どうもこの週はうまく起きれない。目覚ましに使っているAlexaがアラームを鳴らしてくれないのだ。2、3回目の同じ失敗を繰り返した僕は、ギリギリで電車に乗り込んで、遅刻1分前に出勤した。形式的な朝礼が始まる。

「今日の14:16にご協力いただける方は、黙祷をお願いします。」

上司が言った。そうか、今日って3月11日か。そう思いながら仕事を始めた。

なんて事ない仕事を、いつも通りに行っていると時間が迫ってきた。14:15。どうもソワソワした。黙祷を自主的にやるようなタイプではないし、この職場に来てから黙祷をするのは初めてだったからかもしれない。意味もなく、パソコンのマウスカーソルを動かして、1分を稼いだ。

「では、黙祷をお願いします。」

そう言うと、周りの先輩たちは椅子から立ち上がり、黙祷を始めた。

「あ、立つ感じなんですね。」

自分の非常識さを知った。

皆が目を瞑り、僕も目を瞑った。静かな時間が流れる。そう感じた瞬間だった。

カチカチ

明らかに異質な音がした。布が擦れる音ではない。人の体から鳴る音でもない。もっと無機質で機械的なものからなる音だった。

一人の先輩が、黙祷をせずに仕事を続けていた。

憤ったし、戸惑った。その人は、ある程度年齢も重ねている方だったし、仕事もできる人だった。確かに人当たりがきつい時はあるが、ちゃんと話せばわかってくれる人だった。だから、なんで黙祷しないんだろうかと、そう思った。

改めてだけれど、あくまで黙祷は任意であって強制ではない。職場でも周知されていた。でも皆がやるものだと、僕は勝手に思っていた。

黙祷が終わると、皆席につき、仕事を再開した。僕は少し釈然としない、何かモヤモヤを抱えたまま、仕事を始めた。

僕の黙祷

家に帰ってもそのモヤモヤは続いた。なぜあの時、あの先輩は黙祷をしなかったのだろうか。なぜ僕はそこにモヤモヤを抱えているのだろうか。考えながら、パッとテレビをつける。そこには10年目という事もあり、震災や東北に関する特集がずらっと放送していた。ボーッと見ながら、なんとなくモヤモヤが形を帯びていった。

そうか、僕は東北に行かなかったんだ。

とても単純な話だった。かつて自分で決めた、東北に行こうと言う決意は、10年もの長い長い時間があったにも関わらず、達成されることはなかった。いや達成しようとはしなかった。僕はこの10年、震災に対して、何も向き合ってこなかった。

そんな中で行った黙祷に、どんな意味があったのだろう。あの黙祷は、どこへ向けられていたものなのだろう。そんな黙祷をするぐらいならば、僕もマウスを動かしていた方がマシだったのかもしれない。それがモヤモヤの形だった。

逃げの口実

そんなことを文章にまとめたところで、何にもならない。僕は多分、この文章を僕への言い訳に使っている。かろうじてあの震災に向き合った、筆跡だけを残そうとしている。

Yahooの10円募金以外に、僕がやるべきこと、できたことはなかっただろうか。そんなことを思いながら、僕は10年目を迎えた。